発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

皆さん、大いに遊んでいますか?
文章でどこまでも遊べることを証明したのはレーモン・クノー(『文体練習』)ですが、イシス編集学校も負けてはいません。
[守]の38の型で、学衆が最初に遭遇する「創文の遊び」が、020番の「コンパイルとエディット」です。固くて静的で辞書的なコンパイル(編纂)に対し、エディット(編集)は柔らかくて動的でコラム的。コンパイル=限定:エディット=自由と対比できますが、「自由にどうぞ」といわれるとこれがムズカシイ。いったいどうやってエディティング的な創文を書いたらいいの?
というわけで、2回にわたって、51[守]師範にエディティング的な創文を書いてもらうことにしました(師範だって編集稽古を楽しみたいのだ!)
師範にはルールを課しました。
①無作為に選ばれた編集64技法(*)3つを用いる。
②指定されたテーマについて3日以内に書く。
③創文は、400字以内。
1回目のテーマは「遊び」です。「編集は遊びから生まれる」のはもちろんのこと、ホイジンガによれば、遊びは文化よりも古い。私たちは皆、遊人なのです。
では、遊びの達人――堀田幸義師範、石黒好美師範のお二人、どうぞ。
(【13規則】【27引用】を用いて書いてみました)
■堀田幸義の「遊び」エディット(指定技法:17適合、50焦点、51報道)
狭い隙間を抜けて雑居ビルの階段を登っていく。2階にある奥の部屋から掛け合いのような声が聞こえてくる。手には、固く小さな札を何枚か握っているのが見える。
「牡丹だろ、菊がきて、紅葉が揃って青短完成」
「な、なんだと!?」
「こいこいや、こいこい。ちょっとそこで酒買ってこいこい」
「ちっと、静かにできんか」
「ヨッシャ、盃がキター! 月見で一杯、花見で一杯も完成」
「くっ・・・見てろよ。」
江戸時代中期に、花合と呼ばれていた賭博の一種で、明治維新以降も政府により禁止されていた。トランプの輸入を契機に解禁と同時に、花札とルールブックが発売され、瞬く間に大正時代まで大流行。花札に描かれた模様の着物を着ることが先端を行くファッションとなり、櫛やかんざしなど女性のアクセサリーにも用いられ、新しい風俗や文化を生み出していった。
ガタン。
「や、やべぇ。ガサ入れだ」
「逃げろ~」
遊事に耽るのもよいが、捕まって有事となるのは勘弁だ。
(400文字)
堀田師範の「遊び尽くし」のエディット創文です。書くに当たってホイジンガからカイヨワまで調べ直したそうですが、このコンパイルが、エディットを支えているのですね。
まず「遊び」の中から花札にカーソルをあわせ(【50焦点】)、それに相応しいシーンを設定(【55場面】)。花札自体が揃える(suit)遊びであることを匂わし(【17適合】)、途中、ナレーションのようにニュースを挟み込みました(【51報道】)。最後は洒落でシメ(【38諧謔】)。【17適合】【50焦点】【51報道】を使う、という縛りで書いた創文ですが、【55場面】や【38諧謔】という他の方法も引き連れる。これがエディット創文の面白いところです。
続いては「用法4の中心はパロディアだ」と伝習座の用法語りで看破した石黒師範(本業はフリーライター)に登場いただきましょう。
■石黒好美の「遊び」エディット(指定技法:15交換、37不調、49生態)
社畜生活が嫌でフリーになったのに、輪をかけて忙しく遊びに行く暇がない。働けど働けどわがくらし遊び足らざり。でもこんな時こそ編集力。日々の仕事を「遊び」に見立てちゃう。「オシャレでイケてるライターごっこ」だと思って過ごすことに。
〔09:00〕 淹れたてのコーヒーとともにメールチェック。ヤダ締切過ぎてた!? コーヒー吹きつつ平謝り。
〔10:00〕 ゲラにサクっと赤入れ。誤字脱字すごっ。誰よこれ書いたの? 私か。
〔14:00〕 土用の丑の取材で養鰻場へ。近頃はZoomばかりだから、久々のリアル取材はパンツスーツでキメ! ヒールで滑って水路にダイブ! ビショ濡れでもインタビューは全力ッ!
〔23:00〕 アロマを焚いて眠りにつこうとしたら遊刊エディストからメール。明後日までに64技法で何か書け? 徹夜なんだけど?
思えばイシスが一番私を遊びから解放してくれないのよね。 えっ、待って。働いてるんだっけ? 遊んでるんだっけ?
(355文字)
さすがライター。無茶ぶりにめげず、64技法をこれでもかと繰り出しています。
冒頭の一文で「わたし」をカリカチュアライズ(【33輪郭】)。「~遊び足らざり」とわざと調子を変え(【37不調】)、「こんな時こそ」と見立て(【21比喩】)を用いて価値転換(【15交換】)。「オシャレでイケてるライターごっこ」と自らを笑いにし(【38諧謔】)、ある1日を観察しての(【49生態】)オーダー化(【12順番】)。観察記録には数多の笑いを放りこみ(【38諧謔】)、オチで再度、価値転換(【15交換】)。あ、ちなみに「養鰻場で池に落ちたこと」以外は、フィクションだそうです(【56劇化】)。
設定された64技法は【15交換】【38諧謔】【49生態】の3つでしたが、堀田師範同様、この掛け算が別の技法を必然的に呼び込んでいますね。お二人とも遊び尽くした創文でした。「①無作為に選ばれた編集64技法3つを用いる」という限定ルールが「エディットという遊び」をむしろ解放したといえるでしょう。
もうひとつの注目は、当記事のアイキャッチ。阿久津健師範のデザインです。【39意匠】であるのはもちろんのこと、「六十四卦の易占サイコロ」という相似を引き寄せ(【30相似】)、64技法をほのめかし(【29暗示】)、タイポグラフィでタイトルを強めてもいたのです(【34強調】)。
◎エディット創文/堀田幸義、石黒好美 ◎アイキャッチ/阿久津健 ◎編集/角山祥道
*編集64技法は、松岡正剛考案の方法で、『知の編集術』(講談社現代新書)に詳しい説明があります。
イシス編集学校 [守]チーム
編集学校の原風景であり稽古の原郷となる[守]。初めてイシス編集学校と出会う学衆と歩みつづける学匠、番匠、師範、ときどき師範代のチーム。鯉は竜になるか。
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。