海運マンは〝おとづれ〟に耳を澄ます――神戸七郎のISIS wave #10

2023/07/23(日)08:00
img CASTedit

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。

 

神戸七郎さんは元商社マンとして、現海運マンとして、グローバリズムの中で欧米企業と競ってきた。彼らに対抗すべき方法を、神戸さんはイシス編集学校で見つけた。


イシス受講生がその先の編集的日常を語るエッセイシリーズ。第10回は、松岡正剛直伝講座[離]を経ての神戸さんの気づきをお届けします。

 

■■「学習棄却」という武器に相対して


 仏の石油大手トタルエナジーズの担当者と、ブラジル沖深海油田開発案件を話し合っていた最中のこと。「本件は少額だけれど従来の方針変更に関わることなので、弊社社長に相談します」という回答が返ってきた。これを聞いて「トタルエナジーズの社長は細かい案件まで知りたいタイプなのか?」という思考で終わってしまうことと、欧米型のエリート育成システムにまで思いが及ぶことの差は大きい。


 離学衆として明治期から第二次世界大戦における日本の敗因分析を討論したことがある。その際のキーワードの一つが「学習棄却」であった。学習棄却(アンラーニング)とは、それまでの知識やスキルに拘泥せず、有効でなくなったものを捨て、代わりに新しい知識・スキルを取り込むことだ。
 末端まで含めた情報の収集分析とその判断をいかに効率的に行うか、米軍のこの課題に対する回答がエリート育成システムにあった。彼らは徹底したエリートの育成と判断の集中によって、演繹的につみ上げた学習の棄却と、更新ができる組織を作り上げていた。一方の日本軍は参謀本部の独断専行に陥り、前例を棄却して日々刻刻と変わる戦況に対するという判断の質を維持できなかった(『失敗の本質』野中郁次郎他)。権限を集中させる点では同じだが、米軍は「学習棄却」を大前提にしていた。つまり常に編集状態にあった。日本軍は情報が固定化され、「偶然」を生かす余地も余裕もなかったといえる。セレンディピティに欠けていた

 

 では、これは日本の特徴なのか。そうではない。

 神の到来を日本では「おとづれ」と呼んだ。「おとづれ」とは「音連れ」であり、「訪れ」だ。神の到来という偶然を機とするような、おとづれ(音連れ)を生かす方法が、日本にはあったはずなのだ。偶然という「外部の異質性」を取り込み、再編集するという方法だ。日本の伝統文化は本来的にそうした微かな音連れの声を取り込むモデルであったのにも関わらず、それを忘れてしまった点に戦前日本の弱点があった。

 

 欧米のエリート教育を受けた人には、文学や音楽の素養の高い方が多い。例えば彼らとの会話で登場するのは、『源氏物語』やモーツァルトだ。ロジックから、メタファーへ、身体性へと教養の枠を広げていくことに意味を見出しているからだ。こうした人材は、思考が柔軟で、「学習棄却」を習慣としている。結果、更新しやすい組織=社長への権限の効率的な集中、というシステムができあがった。トタルエナジーズの担当者との何気ない会話に、欧米のモデルを見いだすことができるようになったのは、学衆としての学びの成果と思う。

 

 では、こうした欧米のエリートに対抗するにはどうしたらいいか。

 私たちは、構築されたシステムの曖昧な周辺に身を置き、小さな声に耳を傾ける必要がある。周辺の偶然=音連れに信を置き、それをもって自分たちのシステムを刷新していく。かすかな音連れの声を聴く「弱さ」こそ、欧米に対抗しうる、日本という方法なのだ。これは編集学校の学びの(本質的な)一端であると思う。


 ぼくは資本主義と市場と貨幣とにファウストの末裔としてまたファウストすら超えて取り組むと宣言して離を終えた。勝負はこれからである。耳をすませて進む。

▲ブラジル・リオデジャネイロ沖のFPSO(海洋油田生産設備)。神戸さんの職場だ。

 

松岡正剛を座長として2005年に開塾した[AIDA]。多士済々なボードメンバーやゲストが社会課題の「あいだ」に切り込む、他に類を見ない連続講座です。2020年からはHyper-Editing Platform[AIDA]へと装いを新たにし、規定値や前提をものともしないアンラーニングの達人たちが、新たな世界像の編集に挑んでいます。本講座のみならずイシスに固定化の入り込む余地がないのは、「3A」がバックボーンを支えているから。情報に接知し(Affordance)、連想を働かせ(Analogy)、思わぬ方向へと仮説を推感していく(Abduction)過程で、思考はダイナミックに動かざるを得ません。ゲーテが市場経済の欺瞞を『ファウスト』に描出したように、神戸さんも命の火を燃え上がらせ、3Aで新たな社会の建設に立ち向かうのですね。

 

文・写真提供/神戸七郎(43[守]どろんこコクーン教室、43[破]羅甸お侠教室)
編集/角山祥道、羽根田月香

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

  • 『ケアと編集』×3× REVIEWS

    松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 さて皆 […]

  • 寝ても覚めても仮説――北岡久乃のISIS wave #53

    コミュニケーションデザイン&コンサルティングを手がけるenkuu株式会社を2020年に立ち上げた北岡久乃さん。2024年秋、夫婦揃ってイシス編集学校の門を叩いた。北岡さんが編集稽古を経たあとに気づいたこととは? イシスの […]

  • 目に見えない物の向こうに――仲田恭平のISIS wave #52

    イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。 仲田恭平さんはある日、松岡正剛のYouTube動画を目にする。その偶然からイシス編集学校に入門した仲田さんは、稽古を楽しむにつれ、や […]

  • 『知の編集工学』にいざなわれて――沖野和雄のISIS wave #51

    毎日の仕事は、「見方」と「アプローチ」次第で、いかようにも変わる。そこに内在する方法に気づいたのが、沖野和雄さんだ。イシス編集学校での学びが、沖野さんを大きく変えたのだ。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変 […]

  • 『NEXUS 情報の人類史 下』×3× REVIEWS

    松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。  歴 […]

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg