イシス人インタビュー☆イシスのイシツ【鏡の国の阪本裕一】File No.6

2021/02/19(金)14:04
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プロローグからイシツづくめのインタビューの始まりだった。

 

取材を申し込み、企画書を送るとイシツ人から質問が返って来た。

〝個人的な質問をひとつしてもよいですかね。花伝所を放伝されて師範代ではなくエディストのライターを志望されたというのは、どうしてでしょうか? 阪本拝〟

 

これまでのキャリアで数百人にインタビューしてきたが、黒子に徹する取材者にQを投げかけるインタビュイーはいなかった。

試されている。と思うと同時に、真剣に応えなければおそらくこの先はないと知る。

 

なぜ自分はここで書いているのか。意識は記憶の鏡の中に、ゆらゆらと入り込む。

イシツ人と取材者が合わせ鏡のように相対する、イシツな時間が動き出した。

 

 ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より

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【イシツ人File No.6】阪本裕一

19~20、30[守]、29、40[破]師範代、36~40[守]師範、13綴[遊]物語講座師範代、7、10[離]。うち東日本大震災が起こった2011年の7[離]は未了。11綴[遊]物語講座で冠綴賞。家事と2児の育児を担う主夫であり、作家を志し執筆の日々を送る。犀利と恬然が同居する不思議イシツ人。妻は師範の五味久恵。編集工学研究所に在籍経験あり。

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イシツなプロローグに乗じ、取材者による少々の自分語りをご容赦いただきたい。

 

8年前、血液型がO型からA型へと変わった。

ステージⅣで末期の血液ガン。世界でも症例がなく最後の選択肢が臍帯血移植だった。ガン化した血液を他人のものと入れ替える究極の荒療治。自身がこれまで培ってきた免疫力はすべてリセットされ、血液型はドナーである赤ん坊由来のものに変わった。壮絶な過程を患者たちは「生まれ変わり」と呼び、医師たちは単独宇宙飛行に準えた。

主治医の一人はある夜、医師しか入れないガラス張りの無菌室で壁に額を預けながらこう言った。「黎明期から造血幹細胞移植に携わってきて、誰よりも患者に寄り添ってきた自負はある、でもこの治療を受けられるかと問われれば、僕にはとてもできない…」。

 

免疫を司る血液が他人のものとなったことによる免疫反応は、宿主病や後遺障害となって何年経とうが移植体験者を苛む。人の時間に合わせて生きるには早い、[花伝所]で思い知った。それでもたくさんのわたしが生まれる感覚に痺れ、ソノサキにある届かない未知に惹かれ、接続したいとエディストの扉を叩いた。

 

「奇跡ですね」。鏡の向こうで声がする。

鏡と思ったのはPCの画面で、その先には色付きグラスを通し、こちらを見つめるイシツ人の目がある。

「〝おもい〟が胸に響いた。その体験ごと書けばいい。取材者と僕が出会って話した、その時間ごと」。

 

zoom取材が行われた2月、イシツ人は物語講座13綴の師範代ロールの只中。身体化された物語という方法は、われ知らずアリスを鏡の向こうへ導いた仔猫キティのように「書き手」という属性への思いとなってあふれ出す。

「常に自信のある書き手なんていないですよね。どんなにすごい文章を書く人でも、自分の文章は大丈夫だろうかと身震いしながら原稿をあげている。同じ書き手としてそれを前提としているし、師範代をやりながら書き手のコンディションを常に一番に考えてきました。自分の文章を見せるのはすごくこわい。リングに上がる前のボクサーと同じです」。

 

22歳でイシス編集学校に入門して14年、師範代も師範も[離]も経験し、それでも「編集的現在に生きる」リアリティがつかめなかった。学衆として物語講座を受講してようやく、方法が体を通った気がした。

相手の立場を読むのが知性だと、たぶん僕は思っているとイシツ人は言う。だから無意識に相手の地を探り鏡の先へと誘うかのように、言葉は指南の様相を呈す。

 

テイシツでイシツ

(テイシツとは:綴質。狭義につづることへの思い)

「書き手」としての体験は、高校卒業後に出会った「文化学院」が始まりだった。

国に寄らない自由思想を掲げ、西村伊作や与謝野晶子が大正10年に創立した知と芸術のユートピア。現代詩の荒川洋治やロシア文学の亀山郁夫、小説家で俳人の長嶋有らイシツな才能が惜しげもなく教壇に立ち、講堂では長岡輝子の朗読や永六輔の説法を聞く。そんな環境に触発され、イシツ人も自然と文章を書くようになる。

 

「大学受験に失敗して後楽園のホットドッグスタンドでバイトしていた時、先輩に言われたんですよね、阪本君は文化学院に向いているんじゃないかって。とりあえず話を聞いてみようと学校に行ったら、紀志子先生って人が出てきて、2時間くらいずーっとお喋りしたの、好きな本と映画の話を。先生はバンド『村八分』のチャー坊(※)の言葉が好きで、何かその話に絆されて、それで入学しました」

 

 

校風に違わず、通ってくる学生たちも不羈奔放。共通していたのは義務教育からの逸脱と読書量、他を責めず他に寄らない独立気質。中高と進んだ進学校に馴染めず、哲学的思想ばかり突きつめてしまった阪本青年が、ようやく解放された知のアジール。

 

ところが在校2年目、一族経営に行き詰まった学院はメディアに身売りする。思想がお金に換えられた。切なかった。

ここでイシツ人と取材者の鏡は再び相対する。勤めていた明治創業の出版社が大手新聞社に身売りした過去の体験が蘇る。細々と、それでも連綿と受け継がれてきた思想は資本主義の前で無価値だった。

 

「ショッキングですよね。もちろん現実を受け入れることは大事なんだけど、受け入れ難いことの中には、抵抗すべきこともあって。でもどうやって闘えばいいのかわかんなかったんだよね、社会と。ちょうどその頃、松岡さんと編集学校を知ったんです」

 

文化学院への思いは「憤怒」となり、学院の匂いなどまったくないところに身を置こうと〝名前のない森〟に迷い込んだように肉体労働を転々とした。カルチャースクール、レストランの厨房、農家の住み込み。そんな中で出会ったイシス編集学校は、抗い難きに抗うカマエと方法を、知として学べる場と思えた。

学衆から師範代となる傍ら、編集工学研究所が平城遷都1300年記念事業として手掛けたNARASIAプロジェクトに参画し、やがて学林局に誘われた。

 

「編工研には憧れがあったから、入所できて嬉しかったんですよ。大学を諦めて通信で美術史の勉強をしようと思っていたこともあって、ここで学べるならキャリアとしてもベストじゃないですか。でも半年ほどで辞めちゃったんだよね。組織に属して働くのは初めてだったんだけど、僕には向いていなかった。カミさんから見ても当時の僕は輝いていなかったと思う」

 

自分を責めたけれど、当時の編工研は人の出入りも激しく、新人を受け入れる体制も十分には整っていなかったかもしれない。自分の反省は反省として胸に刻み、その後[離]に進む。

イシス歴が長いイシツ人にとって、ここ2、3年は変わり目だったと言う。「二十歳のインパクトって大きいから、松岡さんを勝手に理想化して憧れていたんですけど、松岡さんの言ってること、僕はぜんぜん理解できていないことに最近気づいて愕然としたんです。でもそれに対してあんまり何とも思っていない自分もいて、また愕然として。そりゃ松岡さんにも怒られますよね。でもそれからちょっと変わったんです。長く居続けることでロールが上がっていくことに関心はないんだけど、物分かりが悪いから続けていられるんだなって分かったから」。

ソウシツでイシツ。

(ソウシツとは:想質。狭義に思い起こすこと)

イシツ人がカミさんと呼ぶのは、五味久恵師範。師範代を務めた19[守]の学衆だった。しかしロマンスは教室ではなく時が経った2年後にじわりと花開く。五味からのアプローチで若くして結婚し、主夫となった。

「五味さんの仕事は何って言ったっけな、IT企業のマネージャー業務。もとはSEからスタートしたみたいなんだけど、詳しいことは知らない。事業部の運営と言われても、そもそも事業部って何だか良くわからないから(笑)。カミさんはしっかりしてるし、本当に信頼できる人です」

 

子育てを担って初めて、文化学院で学んだことが生きた気がした。自分にとって一番の先生は誰か、それは自分でしょうと言われてきたことが、子育ての最中にふと、思い出される。

 

「想起されるっていうのかな、記憶の深いところから思い起こされる。物語の師範代をやっていても、それがすごく大事だと気づきました。書くということは、如何にして生き生きと状況や風景を想起させるかということ。そうしてもうひとつのリアリティを再生させていくことが、たぶん編集なんだと思うんです」

 

鏡の奥の、さらに奥にあるものは鋭く警戒し触れさせまいとするかのイシツ人が、物語を語るときは鏡の庭に咲いていた、おしゃべりな花々の如く。

「例えば取材者と僕がこうして話していることを3日後に思い出したとしますよね。それはすでに過去で、いま話していることと取材者が書く記事は別ものだけれど、想起させる事で両方の現実が存在することになるというか。

今までは、相手と対峙している時間だけが現実で、インタビュー記事はウソだという考えだったんですけど、今回の体験を通して、記事の中の僕も僕として確かに生きるんだと分かりました」

 

ずっと何かを探していた。

文化学院のころ初めて書いた短編集に、女性の先輩がイラストを添えてくれたことがある。時計のある異空間で小さな女の子がここだよと誘うような目をしている。これは、アリス…?

ナイーブでありつつどこか不敵、何かを発見」したり「自業自得」になったりを繰り返しながらも求め彷徨うアリスの姿が、イシツ人と重なった。

 

 

【おまけ◎イシツ人と取材】

インタビューが決まりzoom接続を始める直前、イシツ人から電話がかかってきた。「これから何を聞くんですか?」。お互い面識はなく、取材者もイシツ人の情報をほとんど持っていなかった。初回zoomでは取材形式を取らずざっくばらんに話をした。2回目、あらためて行ったzoomの終盤でイシツ人が言った。「苦手だと感じていたインタビューが僕にとっても面白い体験になってきた。こんなふうにプロと一緒に何かをつくる機会が増えていくとうれしい」。無意識に相手を異次元に誘う、やっぱりイシツ人は仔猫キティかもしれない。

 

 

(※)7~80年代に活動した伝説的ロックバンド。差別用語を多用し、暴力的なまでのパフォーマンスで過激にメッセージを届け続けた。チャー坊は94年に逝去したヴォーカルの柴田和志。

 

【過去の連載記事】

≪File No.1≫宇宙人な桂大介

≪File No.2≫福田容子の伝説

≪File No.3≫矢萩邦彦の黒

≪File No.4≫ズレのネットワーカー福田恵美

≪File No.5≫”守”護神な景山和浩


  • 羽根田月香

    編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。