絶対矛盾的相互編集キャンプ!

2025/06/27(金)12:01 img
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 その問いだけが耳に飛び込んできた。
「逸脱って何ですか?」
 編集学校学林局のメンバーの一人が発した言葉で、文脈は不明だが、妙に耳に残った。編集稽古をしていると、同一性から離れていくし、いつもの視点を捨てて連想を飛ばすことに夢中になる。日常会話でも偶発的な情報に攫われるようになるし、自分が知らず身につけていたようなルールにも変更が起こっていく。飛び込んできた一言により今いる時間から連れ去られ、自身と世界の間をつくっているのは編集的自己だ。つまり編集は現状からの逸脱行為である…そんなことを思っているうちにスタッフたちは帰ってしまった。
 吉村林頭が編纂した〈6つの編集ディレクション〉は「編集はよくよく練られた逸脱に向かう」と締めくくる。「編集」を主語にしているのは編集工学のならいだ。千夜千冊980夜『グレン・グールド著作集』が元にある。

「比類のない芸術精度は、よく練られた逸脱をもってしか表現できない」

 
 言いかえると「すぐれた編集はよく練られた逸脱によってのみ表現をする」となる。さしかかったときの偶発を含んだ構成、さらには偶発を呼び込むモード編集、どう練るかは編集の奥義である。980夜の冒頭、松岡校長はグレングールドに対する驚きをこんなふうに書いている。
 
 空虚を配分する。決して高まらないで、意識を存分に低迷させて分散させる。どんなスコアにも、もうひとつのスコアがありうると確信する。こんなことがグレン・グールドにできていたなんて、いまでも信じられないときがある。
 
 グールドが左手でスコアを空中に解放し、それを右手で受けながら演奏するシーンは、松岡校長がイベントで入念にシナリオを用意したうえで偶発をしかける姿に重なる。予定調和はあって、無い。だから、ハラハラがあり、その時だけのサプライズがある。校長が遊書する時は、書を手渡す相手やシチュエーションなど収集した情報からのイメージメントを何より重視した。イメージの結像前に筆を持つことはなく、一心に書き上げたら、そこに遊びを加えていたことも思い出される。
 
 さて、43[花]は、式目演習最後の週末をつかってEditcafeにキャンプを張る。花伝所の名物プログラムだが、編集指南の上達だけをめざすのではない。それぞれに染みついた地を自ら転換し、新たなルールをおもしろがり、組んだ仲間と越境を目指してみる。偶然もものたりなさも全部お題にする。キャンプとはあえて矛盾をおこしながらエディティング・セルフする実験舞台。左手で互いに好きな世界を引き出して、右手のアウトプットをグイグイ追い込んでほしい。
 

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  • 田中晶子

    徹夜明けのスタッフに味噌汁を、停滞した会議に和菓子を。そこにはいつも微笑むイシス一やさしい花伝所長の姿があった。太極拳に義太夫と編集道と稽古道の精進に余念がない。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025