SUMMARY
『もの食う人びと』は、世界の果てとも呼べる異境に赴き、現地の人たちが日々食しているのと同じものを食べてみる体験ルポだ。バングラデシュのダッカから始まり東南アジア、東欧、アフリカ、ロシアなど。ここでは「どん底の食」に挑み続ける。著者を追い立てるものは飽食日本で「贅沢にたるみ麻痺した舌と胃袋」を怖がらせ縮みあがらせたいという欲求だ。飽食が「どん底の食」に向かわるのだ。
『食の王様』では、戦時の飢餓の体験が、「忘我の食」に向かっていく。例えば蟹だ。「ひたすらだまりこんでモグモグむしゃむしゃ、やがて食汗が薄く額に浮かび、眼がうるんでくる。よこにすわった男を見ると、熱中、忘我、貪婪、眼だけがキラキラ輝き、無残の様相さえきざしている。何をいっても耳に入らない。何をいおうとしても声にならない。」ここには飢えを知る男の強烈な食への執念が爆発し噴火する。
『春夏秋冬 料理王国』は、「至高の食」に挑む本だ。「食」を美の視点からとらえ芸術の域にまで高めていく。料理と器は夫婦の関係だと言い、窯を構え器まで自らつくる。魯山人が開いた会員制料亭には、政財界の大物たちがこぞって訪れ魯山人の料理と器を愛でた。「美」に挑む男の生き様は、一切の妥協を許さない厳しさだった。
三冊には三様の「食」への向き合い方が示されている。これらを対角線で結んだ時、何が見えてくるだろうか。
「食」とは何か。三者三様の「食」から「食」をどう捉え、「食」とどう向き合えばいいのか考えてみたい。
■どん底の食
『もの食う人びと』を書いた辺見庸は、世界の果てとも呼べる異境に赴き、現地の人たちが日々食しているのと同じものを食べてみる。バングラデシュのダッカから始まり、東欧、アフリカ、ロシアなど。著者をそこに向かわせるものは、飽食日本で「贅沢にたるみ麻痺した舌と胃袋」を怖がらせ縮みあがらせたいという欲求だ。彼は何を食べたのか、ダッカでは、食卓なし。肉もなし。トルカリ(カレー)の中身は小石みたいな乾魚ばかり。それを地べたに座り手づかみで食う。実はこれは残飯だ。クロアチアでは「揚げた網からイワシが雨みたいに降ってくる。甲板が銀メッキを塗ったかのように一面まぶしく輝いた。もうイワシの原っぱだ。皆で甲板にガスコンロを出し、オリーブ油と粗塩をかけて、山ほど焼いた。」残飯も「食」、生きたいわしも「食」だ。
辺見庸は、1944年生まれ。早稲田大学を卒業後、共同通信社に入社、北京、ハノイで特派員として活動する。
■忘我の食
『食の王様』を書いた開高健は1930年生まれ。戦争の時代に生き強烈な「飢え」を体験している。これが食へのすさまじい執着心を持たせ彼を駆り立てる。少年時代の「飢え」との戦いの日々では「野道を歩いていても草の葉を見て、あれは食べられそうだとか、あれは苦そうだとか、こちらは湯をとおして日干しにしたらエグがとれそうだとか、そういうことが見えてならなかったし、気になってならなかった。」と語る。ここでは身の周りの全てが「食」だった。戦争が終わり平和な世の中になり仕事を得てからは、当時の飢えの反動が一気に出る。「友人と二人でバーのカクテル・リストに出ているカクテルを上から一つずつ飲んでみたことがある。何品飲んだかは忘れてしまったけれど、しまいに眼が見えなくなり、体が泥になってしまった。」そして蟹だ。「ひたすらだまりこんでモグモグむしゃむしゃ、やがて食汗が薄く額に浮かび、眼がうるんでくる。よこにすわった男を見ると、熱中、忘我、貪婪、眼だけがキラキラ輝き、無残の様相さえきざしている。何をいっても耳に入らない。何をいおうとしても声にならない。」ここでは食べ尽くすまでそこを動かないという強烈な食への執着が見える。ここには我を忘れさせるほど熱中させる「食」がある。
■至高の食
『春夏秋冬 料理王国』を書いた北大路魯山人は、「味がわかる」とはどういうことかと問う。それは画の鑑賞と同じで「わかるものにはわかるし、わからぬ者にはどうしてもわからない」ものだと語る。その上で、料理を「美」を追い求める芸術と捉え挑んでいく。
出発は食材だ。「おいしい御馳走というのは、上手な料理法ということは第二義で、実に材料だけだ、ということである。材料の功が九、料理の腕前はその一しか受持っていないのだ。」一方で良い材料を下手な料理で、せっかくの持味を台なしにしてしまうものには、「天に背くもの」と容赦ない。さらに食器と料理は夫婦のような関係だとし、窯を構え器まで自らつくる。
魯山人は、1883年京都の上賀茂神社の社家に生まれる。1920年、37歳のときに転機が訪れる。古美術の器にみずから調理した手料理を盛り付けふるまうことを始める。これに「金はいくらかかってもいい。美味いものを食わせろ」という政財界の大物たちが注目、1923年関東大震災で店を失うも、2年後の1925年に会員制料亭「星岡茶 60寮」を立ち上げると、魯山人の本気の取り組みが評判に評判を呼び、1930年の昭和恐慌のさなかでも会員は千人を超えるまでに。世間では「星岡の会員に非ざれば、日
本の名士に非ず」といわれるまでになる。
魯山人が、料理をつくる上で特に大切にしていたのは、「心」だった。「技術に加えて必要なものは、その人の愛情であり、その人の品格が大切だ。同じ材料を使って、同じものをつくっていながら、そこに大きなちがいが生まれてくる。」ここには、「食材」を恵む天と地と、料理を頂く人への深い思いやりに溢れている。こうした心でつくられる至高の料理も「食」だ。
■食は、他者のいのち
三者三様の「食」だが、共通することは「食は、他者のいのち」を奪っている、という現実だ。他者のいのちを奪いヒトは生きている。魯山人は誰よりもこのことがわかっていた。だから食材に心を込めて向き合う、食材を最高の料理に仕上げる、さらに食材を盛る器にもこだわる。これらは他者のいのちを「奪う」を「頂く」に転換する大事な行為であり、最大限の敬意の現れだったのだ。魯山人に学び「食」に敬意を表し、頂きたいと思う。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『もの食う人びと』辺見庸/角川文庫
∈『食の王様』開高健/角川春樹事務所
∈『春夏秋冬 料理王国』北大路魯山人/ちくま文庫
⊕多読ジム Season13・冬⊕
∈選本テーマ:食べる3冊
∈スタジオらん(松井路代冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型
『もの食う人びと』→『食の王様』→『春夏秋冬 料理王国』
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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