花伝式部抄::第15段:: 道草を数えるなら

2024/06/04(火)08:02 img
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花伝式部抄_15

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 先だっての入伝式で、「学ぶ者」の姿を「歩く人」に見立てた話をしました。
 武道、芸道、編集道というように、何かの技能を時間を掛けて修得するプロセスを「道」に喩える感覚は日本的な学習観かも知れません。もちろん海外の学習法にも「___ way」といった表現が見られますが、同じ「道/Way」でも石畳みのそれと、生い茂る雑草を踏み固めたそれとでは、歩く者に異なる質のアフォーダンスをもたらすでしょう。英語の「Way」は目的地までの行程を消化するという面で合理的に見える一方で、日本語の「道」に「道草」という言葉があることは何か象徴的なように思います。

 「道草」とは文字通り「道に生えている草」のことで、馬が「道草を食う」ために立ち止まってばかりいると旅が進まないことから、一般的にはネガティブな意味を持つ言葉です。寄り道、脇道、回り道なども類義でしょう。
 ここで学習を「道」に見立てるとするなら、「道草や寄り道を排除すべきか否か」という問いが立つわけなのですが、その答えはYes/Noの二択ではありません。そもそも道に草が生えたり、脇道が派生することは摂理(いや「連想編集の成果」あるいは「別様可能性の発現」と言うべきか)ですから、それらを排除する立場に立つとしてもそれらの存在を受容するところから始める必要があるでしょう。そのうえで、「どの程度なら許せるか」といったグラデーションや「どんな条件において許されるか」といった例外について考慮するのが筋です。
 つまり「道」と「歩く人」の間には、何らかの「ほど(程)」の感覚が立ちあらわれるのです。その「ほど感」(=花伝式目でいう「測度感覚」)に美意識を求めるところが、日本的学習観の特徴なのではないでしょうか。

 さて、イシス編集学校が提供しようとしている学びの主題は「インタースコア編集力」です。インタースコアとは、最もシンプルに説明するなら「複数のスコアを重ねること」です。
 何と何とを重ねるかはそれこそ多様な組み合わせが想定できますが、何をどう組み合わせるにせよ、そこには「組み合わせる人」(=いわば「インタースコアラー」)が存在します。そこを歩く人が居ればこそ、それは「道」として意味や価値を成すということです。
 このとき「歩く人」が「道」と重なり合っていくプロセスを時系列で整理すると、次のような3段階のステップが想定できます。


1)「道」と出会い、その幅や距離、路面の様子、混み具合などを測るなどして、それが何なのかを認知しようとする。

(この情報的自他の遭遇を「1次インタースコア」と呼ぶことにします)

2)「道」をさらに観察し、自身の持っている情報と照合するなどして、それが成り立っている背景や目的などを察知しようとする。さらに、連想による仮説形成と試行錯誤を繰り返しながら、道に立って歩を進める。

(「2次インタースコア」は情報的自他が交わる段階です)

3)「道」はやがてどこかへ辿り着き、それまでの「道のり」や「歩み」に意味や価値が宿る。

(「3次インタースコア」では情報的自他が渾然一体となって別様可能性へ向かいます)

 

 このようにインタースコアには動的なプロセスがありますから、その進捗に応じてインタースコアラーの視点は移ろい、当然ながら情報との「間合い」や「差し掛かり」の具合が変化していくことになります。すなわち、インタースコアはその進度や深度によってモード(様)の変遷が見られるのです。

 

並列的インタースコア

「歩く人」は「道」を外部情報として捉えている。様々な道についての情報を収集して比較検討したり、その道の要素・機能・属性を調べている。

複数のスコアを並列させて記述するインタースコア。記述者はそれぞれのスコアに対して客観的な立場からの視座を保ち、編集対象に対して俯瞰的な態度をとる。
 

重層的インタースコア

実際に道を歩いている。「道を歩く」という体験のなかで、刻々と変化する状況を感知し、応答しながら歩いていく。

インタースコアされる複数のスコアのうち少なくとも一つが記述者に関するスコアである場合、または、記述者の視点を任意のスコアに仮託しながら描出するインタースコア。

記述者の主観的な測度感覚が持ち込まれるため、必然的に「情報的自他の系列化」が伴う。

 

生成的インタースコア

それまでの「道のり」や「歩み」を振り返りながらも、体験を通して新しい意味や価値を獲得していく。

記述者の立場に関わらず、情報的自他の超越や統合を伴いながら、あらたな情報構造を創出するインタースコア。

 

 「並列/重層/生成」としたラベリングは、インタースコア編集の対象となる情報群の重なり具合と、そこへ差し掛かるインタースコアラーの間合いの様子を表そうとしています。端的に言えば、記述者が情報群を俯瞰して客観的に観察するか並列的インタースコア、情報群の一部に記述者自身を投影または仮託するか重層的インタースコア、自他を超越して新しい文脈の獲得へ向かうのか生成的インタースコア、という分類です。

 

 こんなふうに「インタースコア」ということのプロセスを分節し、モードを分類してみると、編集には「審級」があることが見えてきます。
 「審級」とは、上級下級のグレードづけを目指すものではありません。「審」の字義は「よくしらべる」ところにありますから、もともとの「問」に何度も何度も「感」「応」のフィードバックを積み重ねて「答」や「返」を導くような、ループ状の編集回路を想定しようとしています。編集の生命は、審級のあるシステムにおいて育まれるのです。


 また、インタースコア編集に3つの審級を想定する考えは「守破離」の概念にも通じるでしょう。

 守破離の道は、必ずしも見通しが良く快適な一本道ではありません。その道程は時間も空間も輻輳する、複式夢幻能ならぬ「複式夢幻道」とでも呼ぶべき複雑系の軌跡を描きます。そこでは始まりの一歩から離を孕み、我が身を歩みへと破りながら道を守り、やがて離において守・破を再生しながら、自身を含むシステムの全体を自律的に更新していきます。

 編集が「生成的インタースコア」(≒を志すとするなら、「並列的インタースコア」(≒を礎としながら、「重層的インタースコア」(≒をとことん追究し尽くすことが求められるでしょう。

 

 と、ここまで論を運んだのち、再び「問:道草や寄り道を排除すべきか否か」へ立ち戻ると、路傍の草が愛しく思えてくるのではないでしょうか。

 第12段で紹介した「冗長度」は編集稽古における「寄り道の度合い」を描出するスコアでしたが、既に述べたように、冗長度の多寡に適正値を認めて学習効率を測ろうとするのではなく、寄り道の量から〈学ぶモデル〉のユニークネスを読み解く方向へこそ、定量スコアは可能性を見出して行きたいものです。

 

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 ::第12段:: 言語量と思考をめぐる仮説

 ::第13段:: スコアからインタースコアへ

 ::第14段::「その方向」に歩いていきなさい

 ::第15段:: 道草を数えるなら

 ::第16段::[マンガのスコア]は何を超克しようとしているか

 ::第17段::「まなざし」と「まなざされ」

 ::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」

 ::第19段::「測度感覚」を最大化させる

 ::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし

 ::第21段:: ジェンダーする編集

 ::第22段::「インタースコアラー」宣言

 

  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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