事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。
まひろ(後の紫式部)がついに母に! 無事の出産を一心に祈る従者・乙丸(演・矢部太郎)。産声を聞いた瞬間のほっとした表情ときたら、まるで乙丸が父であるかのよう(…違います)。
◎第27回「宿命の縁」(7/14放送)
様々な夫婦のバリエーションを見る回のような気がします。
◎一条天皇と定子:周りから反対されればされるほど強まる結びつき
変わらずお互いを慈しみいたわりあう。夢まぼろしのように美しい夫婦像です。定子は二度目の懐妊をし、ついに皇子を生みます(妹・定子の出産にあたり、魔よけの鳴弦をしていた定子の兄たち、伊周・隆家兄弟の、まぁ、晴れやかな顔ときたら。皇子誕生で「将来がまた開けてきた感全開」でした)。
但し、出家の身でありながら子を持った定子と一条天皇への風当たりは強く、公卿たちに対して孤立する一条天皇。障害があるほど、愛情は強まる、のはいいのですが、一条天皇が母・詮子にぶつけた感情的な言葉は、公卿たちからそっぽを向かれていることへの八つ当たりにしか見えず…。母・詮子が「手塩にかけた貴方」とまで言ったのに、自分は「あなた(=母)の操り人形だった」とまで言いますか…。母・詮子に同情、に一票、でした。
◎道長と倫子:息ぴったりのチームワークでフル回転
一条天皇がまっとうな政治の道に戻るよう、つまりは定子への入れ込みすぎをおさえるよう、道長はわが娘・彰子を入内させる(前回「いけにえの娘」の復習ですね)。彰子の入内を、公卿たちが諸手を挙げて喜んでいることを示すため、多くの公卿に歌を詠ませた上で、天皇の秘書官である蔵人頭の行成に清書をさせ(なんといっても行成さんは三蹟←書が優れていることで有名な三人のうちの一人)、屏風に仕立てる。彰子入内の折に内裏の部屋にしつらえられ
た屏風の、なんと豪華なことか。そして、それを見た一条天皇が、どれほどの圧を感じたことか。これを息のあったチームのごとく進めていく道長と倫子。娘を差し出すという覚悟を決めた倫子の「突き進む力」には圧倒されます。母の気合いに対して、控えめな彰子は父母の期待にどう応えていくのでしょうか。
◎まひろ(のちの紫式部)と宣孝:真実が仲介する新たな関係
まひろが身籠もったのは道長の子。元々、道長に心を残していることを知りながら「それごと受け止めると言った宣孝は、道長に大事なお役目を授けられたのは、まひろの縁だろうと喜ぶ。一方、不義の子を身籠もったまひろは、さす
がに宣孝への裏切りの意識から、ついに「別れましょう」と言い出します。しかし、宣孝は自分とまひろが育てるのであれば、(お腹の子が)誰の子であろうとも「自分の子どもだ」と言い切ります。道長へのごますりか、弱みを握っての出世の手立てか、と勘ぐりそうになるところを、宣孝は本当にそう思っていたのだろう、と思わせるのが、演じる佐々木蔵之介の演技力でした。
その言葉に動かされ、まひろの表情も晴れ、冒頭に書いたとおり、かわいらしい女の子を出産し、ついに母となります。
ということで、冒頭の道長とまひろの美しい再会と、おさえきれなかった二人の恋情のシーンは吹っ飛んでしまいました。。。
◆『けり子とかも子の対談集 古典夜話』白洲正子・円地文子/新潮文庫◆
けり子とかも子、とサブタイトルがついているが、これは式亭三馬『浮世風呂』に出てくる、古典に詳しいインテリ婦人達のこと。そのインテリ振りをからかっての命名だ(詠嘆の助動詞・終助詞の「けり/かも」ですよ
ね、きっと)。
さて、現代のけり子とかも子はこの二人。源氏物語を訳した円地文子と、幼い頃から能を学び、女性で初めて能舞台に立ったと言われる白洲正子。源氏物語や能を幼い頃に頭にではなく、体にしみこませてきた二人が古典について語り合うのですから、面白くないわけがない。源氏物語の六条御息所の生き霊と、世阿弥の幽玄とが交差し、世界観が膨らむ対談集だ。
円地文子が「源氏物語が各時代にいろいろなふうに読まれて、いろいろなふうに生きてきたというなかで、室町時代の世阿弥の劇化は、世阿弥の源氏物語の『読み』だと思うんです。それが私にはたいへん興味がある」と言う。二人の会話にはたっぷりと対談が行われた1975年の読みがこめられている。その素材の一つが歌舞伎だ。円地文子が歌舞伎座で源氏物語『葵の巻』の台本を手掛けたこともあって、当代の歌舞伎役者たちへの評も含まれる。ばっさばっさと好き嫌い、良し悪しが述べられていて、まぁ、なんと心地良いこと。
『葵の巻』の舞台割りを間近で見ていた、という板東玉三郎の解説では、源氏物語を『いつまで経っても語り尽くせない、また完全に読み解くことの不可能な迷宮の世界』とも。
二人の古典に対する教養をもって、実に楽しげに、また言葉美しく語られる古典の世界。けり子とかも子であるかもしれないが、まひろとききょう、つまり紫式部と清少納言のようにも思えてくる。迷宮にぐっとひきよせられる一冊だ。
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ一
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ二
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ三
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ四
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ五
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ六
相部礼子
編集的先達:塩野七生。物語師範、錬成師範、共読ナビゲーターとロールを連ね、趣味は仲間と連句のスーパーエディター。いつか十二単を着せたい風情の師範。日常は朝のベッドメイキングと本棚整理。野望は杉村楚人冠の伝記出版。
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