事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。
全てを知りながら、それをも含めてまひろ(後の紫式部)を大きな翼で包み込んだ宣孝、道長の後ろ盾となった詮子。前半を、史実でもドラマでも引っ張った二人が世を去りました。
◎第29回「母として」(7/28放送)
三人の母の像を見たように思います。
◆まひろ(後の紫式部)
今回の冒頭、まひろが娘・賢子と鞠で遊ぶ様子が描かれます。そこに登場するのが宣孝。子煩悩感たっぷりの宣孝は変顔をして、賢子をあやします。何回か前に、浮気がばれて灰を投げつけられていた宣孝でしたが、賢子を通じて夫婦の絆が強まったよう。しかし、宣孝は「国守を勤める山城の国に向か」い、「それきり戻ってこなかった」とナレーションにあるとおり、急病にかかった宣孝はそのまま亡くなり、まひろはそれを正妻からの使者から聞くことになります。妾(しょう)という立場の辛さを思い知らされるシーンでした。
娘・賢子に子守歌のように漢文を聞かせるまひろ。父・為時が弟に漢文を教えている時に、横で聞いていたから、弟よりも早く漢文に通じるようになった自分自身を重ねているのかもしれませんが、賢子は関心を持つ様子なく、-そりゃそうだ、まだよちよち歩きの幼女なのですから-、孟母三遷の実現にはほど遠い様子。
ところが、まひろが『竹取物語』を読み聞かせると、賢子はじっとおとなしく話に聞き入るだけではなく、「ははうえ、つづきは?」と続きをせがむ。
物語を好む娘の様子を見て、ここからまひろの「物語」が始まります。
◆詮子
子である一条天皇に「あなたの操り人形だった!」と怒りをぶつけられてもなお、子、そして万乗の君である一条天皇を思いやる詮子。自身の四十の賀(四十歳を祝う儀式)の席で胸の痛みを覚え、倒れこみながらも、介抱のために近寄ろうとする一条天皇を強く止めます。天皇が、病に倒れた者に触れると「穢れ」となり、政治が止まってしまう。「あなたさまは帝でございますぞ」と苦しい息の下からながらも放った詮子の言葉に、一条天皇は母に触れようとした手をとどめざるを得ませんでした。
病の床についた詮子は、帝、そして敵視していた定子が産んだ皇子、つまりは自身の孫にあたる敦康のために、定子の兄・伊周の位を元に戻すようにと道長に頼みます。これで伊周の怨念をおさめ、子と孫に害が及ぶことのないように、という必死の願いです。天皇の妻として望んだわけでもないのに政治に関わらざるを得なかった一生を、帝の世の盤石と安寧を祈りながら終えました。
◆彰子
定子が産んだ一条天皇の第一皇子・敦康を、実の母亡き後、誰が育てるか。詮子は、道長に、道長の娘・彰子に引き取らせるようにと言います。一条天皇をはさみ、当人同士はそうでなくともその周囲が敵対関係だった定子と彰子。この時、彰子はまだ13歳で子どもを産める年齢には遠く(しかも一条天皇は亡くなってもなお定子に未練たっぷりなので、心は彰子に向かわず…)、敦康の養母の父として道長が権力を掌握するための措置でした。
母、といっても「これから」の母。「いけにえの姫」が育てる「人質の皇子」。
さてどのように育っていくのでしょうか。
幼い賢子が興味を示し、『源氏物語』の「絵合」の巻では「物語のいできはじめの親なる」と書かれた、こちらの物語をどうぞ。
◆『現代語訳 竹取物語』川端康成訳/河出文庫◆
◆『竹取物語』星新一訳/角川文庫◆
月、というと思い出される、誰もが知っている「かぐや姫」の物語。川端康成が解説の中でこう書いている。「しかし何よりもいいのはやはりその文章である。簡潔で要領を得ていて力強く、しかもその中に自然といろいろの味が含まっているところ、われわれはどうしても現代文でその要領のよさを狙うことは出来ない」。であれば原文だけ読んでいればいいか、というとそうでもない。
例えば川端康成訳は、文庫本171頁のうち、解説が68頁。こうなると解説でもう一度、川端が『竹取物語』を語りなおしているといってもよい。もちろん、物語の「地」を深く知るために必要な補足が入ってくる。原文では、各挿話の最後に言葉の洒落が入るのだが、「別にいちいちその洒落にひっかかる必要はない」とバッサリ切る。あるいは「この物語は、ここからずっと後に、だんだんと最高潮に達してくるのである」。川端と同じ心持ちで物語を楽しむことができる。
同様に星新一訳では、各エピソードの最後に「ちょっとひと息」という星の言葉が入る。「では進めるか」「では話のつづきを」という言葉で、次から次へと物語の展開にのせられていくよう。星新一訳は場面が目に浮かぶかのような、直接話法の多様も特徴だ。
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ一
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ二
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ三
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ四
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ五
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ六
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ七
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ八
相部礼子
編集的先達:塩野七生。物語師範、錬成師範、共読ナビゲーターとロールを連ね、趣味は仲間と連句のスーパーエディター。いつか十二単を着せたい風情の師範。日常は朝のベッドメイキングと本棚整理。野望は杉村楚人冠の伝記出版。
【多読アレゴリア:大河ばっか!③】「大河ばっか!」の源へ(温故知新編)
数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。 ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立 […]
【多読アレゴリア:大河ばっか!②】「大河ばっか!」の源へ(キャラクター・ナレーター編)
数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。 ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立 […]
事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。 冒頭、 […]
事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。 王朝 […]
事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れば、より深く楽しめるに違いない。 まひろ […]