福田容子 | 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア https://edist.ne.jp Tue, 13 May 2025 02:46:22 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.1 https://edist.ne.jp/wp-content/uploads/2019/09/cropped-icon-512x512-32x32.png 福田容子 | 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア https://edist.ne.jp 32 32 【ARCHIVE】人気連載「イシスの推しメン」をまとめ読み!(27人目まで) https://edist.ne.jp/archives/oshimen/ https://edist.ne.jp/archives/oshimen/#respond Fri, 09 May 2025 06:10:26 +0000 https://edist.isis.ne.jp/?p=53469 イシス編集学校の魅力は「人」にある。校長・松岡正剛がインターネットの片隅に立ち上げたイシス編集学校は、今年で開校23年目。卒業生はのべ3万人、師範代認定者数は580名を超えた。 遊刊エディストの人気企画「イシスの推しメン […]

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イシス編集学校の魅力は「人」にある。校長・松岡正剛がインターネットの片隅に立ち上げたイシス編集学校は、今年で開校23年目。卒業生はのべ3万人、師範代認定者数は580名を超えた。

遊刊エディストの人気企画「イシスの推しメン」では、エディスト編集部が推したいイシスの名士たちを紹介する。彼はなぜイシス編集学校に入門し、彼女はどうして編集稽古を続けるのか。一人ずつ、それぞれの動機を解き明かしていく。

 

シリーズ イシスの推しメン

●1人目

六本木で働くITマネージャー稲垣景子は、なぜ編集学校で輝くのか?(2022/08/28公開)

イシス編集学校師範代の稲垣景子

 

●2人目

剣道歴25年・イケメン税理士はなぜ15年間「編集稽古」を続けるのか(2022/08/31公開)

イシス編集学校師範の岡部吾朗


●3人目

寄付ダイエットでマイナス30kg! NPO支援を続ける山田泰久が、キャッチーな文章を書ける理由(2022/09/13公開)

イシス編集学校師範代 山田泰久

 

●4人目

松岡正剛はなぜ「7人の福田容子」を求めたのか 京都のフリーライターが確信した「言葉の力」(2022/09/25公開)

福田容子

 

●5人目

立正佼成会の志士・佐藤裕子は、宗教団体をどう編集するか(2022/10/04公開)

佐藤裕子師範代

 

●6人目

芝居に救われた元少女・牛山惠子が、中高生全員にイシス編集学校を進める理由とは(2022/10/07公開)

牛山恵子師範

 

●7人目

外資マーケター・江野澤由美が、MBAより「日本という方法」を選んだワケ(2022/10/21公開)

江野澤由美

 

●8人目

投資会社元社長・鈴木亮太が語る、仕事に活きる「師範代という方法」とは(2022/11/20公開)

鈴木亮太師範

 

●9人目

水処理プラント設計者・内海太陽が語る、中小企業経営者にこそ「日本という方法」が求められる理由(2022/12/04公開)

内海太陽

 

●10人目

起業支援で「わたし」に出会う 久野美奈子の「対話」という方法とは(2022/12/06公開)

NPO法人起業支援ネット代表理事 久野美奈子

 

●11人目

情報編集=人生編集?! ハレ暦案内人・藤田小百合はなぜ師範代を2年間続けたのか (2022/12/12公開)

 

●12人目

アイドルママは3児の母!産後セルフケアインストラクター・新井和奈が美しさを保つ秘訣(2023/01/10公開)

新井和奈

 

●13人目

神社好きの若きドクター・華岡晃生は、石川県で何を編集するのか(2023/01/26公開)

華岡晃生

 

●14人目

編集者歴32年!アルク編集者・白川雅敏は、なぜイシス編集学校で師範を続けるのか(2023/01/29公開)

白川雅敏

 

●15人目

スイス在住・フルート指導者田中志歩が、海外在住日本人にイシス編集学校を勧める理由(2023/02/06公開)

 

●16人目

不動産投資と編集術の意外な関係?! 世界と渡りあうアセットマネージャー平野しのぶは、なぜ「日本語」にこだわるのか(2023/02/26公開)

 

●17人目

一級建築士・山田細香は、なぜ震災を機にイシス編集学校を選んだのか(2023/03/11公開)

 

●18人目

どうすれば、子どもは本が好きになる? 理学療法士・得原藍が語る、イシス編集学校の重要性とは

 

●19人目

目標は変えてもいい!?クリエイティブディレクター内村寿之は、なぜ編集工学の社会実装を目指すのか

 

●20人目

【イシスの推しメン/20人目】実践教育ジャーナリスト・矢萩邦彦が語る、日本流リベラルアーツの学び方(2023/04/26)

 

●21人目

【イシスの推しメン/21人目】クリエイター夫婦がイシスで「夢」を叶えた?! 漫画家・今野知が思い出した「青春」とは(2023/05/27)

 

●22人目

【イシスの推しメン/22人目】【イシスの推しメン/22人目】インカレ6連覇を支えるアスレティックトレーナーが、「編集稽古」にハマる理由(2023/07/10)

 

●23人目

【イシスの推しメン/23人目】ディズニーをクロニクル編集?!ストラテジスト永田拓也がオリエンタルランドで活用する編集術の型とは(2023/07/26)

 

●24人目

【イシスの推しメン24人目】ブランディングは編集稽古? ブランド・プランナー大久保佳代が見た、編集稽古の応用法とは(2024/02/19公開)

 

●25人目

【イシスの推しメン25人目】楽天副社長から風越学園理事長へ。なぜ本城慎之介はイシス編集学校に驚いたのか(2024/03/20公開)

 

●26人目

【イシスの推しメン26人目】ジュエリーデザイナー小野泰秀が、松岡正剛の佇まいに惹かれたワケとは

(2024/04/07公開)

 

●27人目

【イシスの推しメン27人目】コンサルタント出身ファンドマネージャーは、なぜアナロジカルな編集工学を求道するのか(2024/06/09公開)

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モノに見立てて肖って●54[破]評匠 セイゴオ知文術レクチャー https://edist.ne.jp/post/54ha_chibunlec/ https://edist.ne.jp/post/54ha_chibunlec/#respond Tue, 15 Apr 2025 03:01:54 +0000 https://edist.ne.jp/?p=84565    本を読んで、文を書く。そのとき人は、いったい何について書いているのだろうか。そこでは何が出入りしているだろうか。  日々の暮らしの中で何気なくおこなうこともできてしまう読書行為というものをひとつの巨大な“ […]

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 本を読んで、文を書く。そのとき人は、いったい何について書いているのだろうか。そこでは何が出入りしているだろうか。
 日々の暮らしの中で何気なくおこなうこともできてしまう読書行為というものをひとつの巨大な“謎”とみなし、重層的な読み書きの襞に幾度となく分け入ってきたのが松岡正剛だった。
 イシス編集学校[破]の稽古は文体編集術に始まるが、そのフィナーレに待ち受けているのが松岡の名を冠した「セイゴオ知文術」である。千夜千冊の方法に倣って本を読み、知文として結実させるのがそこでの眼目となる。
 とはいえ、ISIS-commissionが厳選した課題本をもとに、松岡にあやかりながら読み書きをかさねるのは、学衆にとってはもちろん、伴走する師範代にとっても容易なことではない。[破]で最初にぶつかる難所だ。
 先日開催された伝習座「あやかり編集力」のあと、[破]指導陣はそのまま居残って、知文指南への理解をもう一段深めるためのレクチャーの場をもった。レクの担い手は、長らく[破]の指導に携わってきた評匠たち。ここでは、「モノ」を主軸に据えた評匠二人の知文語りをご紹介したい。

 

◆ 取捨選択の先の景色(岡村豊彦評匠)

 

 手前の伝習座では、松岡が「心」ではなく「モノ」へのあやかりを圧倒的に重視していたことがあかされたが、評匠・岡村豊彦は「モノとしての本」の在り方に注目した。
 他のモノたちと同じく、本もまたモノであるからには、のっぺらぼうな抽象的空間に存在するのではなく、非常に具体的な時間と場所と状況の中に置かれている。ごく当然のことと思われるかもしれないが、本に書かれた意味内容にばかりとらわれていると、読者はしばしばそのことを忘れる。
 「その本を手に取るまでに、どんなことを意識したでしょうか」。岡村は静かにそう問いかけた。「本-著者-読者」の三角形を意識することは知文術の基本だが、本を起点とした関係性はそれだけに限定されない。一冊の本が読者の手へ渡るまでに、編集者や訳者やカメラマン、装丁デザイナーや書店員に至るまで、さまざまな属性や企図をもった人たちがかかわっている。とりわけ知文においては、その本が書かれた頃の時代状況や社会情勢を視野に入れることも欠かせないだろう。
 「そう考えると、読者は本の内側だけではなくて、本の外側にも、無数の関係線を引くことができます」。「モノとしての本」を取り囲む多重多相なレイヤーに光を当てたこの指摘には、青熊書店の運営を通じて日々“書物の生態系”に身を浸している岡村自身のリアルな実感もこもっていたにちがいない。

 

 

 一般的な感想文やレビューであれば本に書かれた事柄へのリアクションだけで済むのかもしれないが、知文稽古においては、上記のような、必ずしも本に明示されていない情報をふくめて収集してみることがカギを握る。「でもそれは、単に情報をリストアップすれば良いということではありません」。岡村いわく、肝心なのはその後である。本のウチソトを織り成す膨大な情報群の中から、何を選び・何を捨てるか。そうした取捨選択の手捌きにこそ書き手の見方が宿る。そこで初めて本格的な編集過程に突入してゆくのだ。

 

 

 [破]稽古は再回答してナンボのものである。だから情報の選別や意図の組み立ても、一度きりでは終わらない。「ひとりの人の中でも、本を読む前と読んだ後、知文を書く前と書いた後で、どんどん見方が変化していきます」。そうした「読前・読中・読後」及び「書前・書中・書後」の行ったり来たりの中で、読者(学衆)は見方を深めていく。師範代は、学衆が読み書きする過程で起こった選択の分岐を想像しながら、そこに萌芽する可能性を提示していきたい。
 学長・田中優子によれば、部屋のサイズ感を問わず、家の中にも「八景」をつくってしまえたところに江戸日本の方法があった。その話を受けて岡村は、セイゴオ知文術もまた、たった800字という小さなハコの中に「景色をつくる」営みなのではないかという見立てを投げかけた。
 八景としての知文術。これを聞いて、学衆ひとりひとりがつくりあげる「景色」を早く見てみたいと、今からウズウズしてきた師範代も少なくなかったはずだ。一見ハードな知文稽古を愉快でやわらかなイメージへと転じさせる、アワセカサネの妙をここに見た。

 

◆ 手ざわりのある超部分(福田容子評匠)

 

 「具体性をもって示す」ことに定評のある福田容子は、レク直前、とある過去の知文作品を配布した。「みなさん、ひとまずこちらを読んでみてください」。知文は800字といえども非常に密度が高い。伝習座の一日を通して“聴くモード”に徹していた面々は、いきなり出されたお題を前に、急いで脳内を“読むモード”に切り替えた。こうしてちょっとした不意を突きドキっとさせるのも、すこぶる福田らしい。

 

 

 何人かに感想を募って、作品に対する各々の印象を頭の片隅に置いてもらいつつ、福田は「指南の仕方」についてのレクチャーを始めた。
 指南の勘所として一つ目にあげられたのは、「ズレをみること」である。ズレをみるとはどういうことか。
 課題本を読んだ学衆は、まず最初にざくっと全体像をつかんで回答を放つ。しかしながら、イメージと言葉とのあいだには、どうしてもズレが生じてくる。[破]で言葉を「イメージの近似値」と呼びならわしている理由もここにある。師範代が注目すべきはこのズレなのである。
 稽古序盤の「5W1H活用術」と「いじりみよ」では、「要素の列挙」と「文章への統合」という二段階の手順を踏むが、例えばこのふたつの手順のあいだのズレがヒントになる。知文でいうなら、下書きメモや振り返りでのつぶやきと、本回答とのあいだの落差がこれに当たるかもしれない。いまだ不定形なものと既に形をなしたもの。両者間の差異や溝にこそ、学衆の思っていることや感じていること、あるいは自分自身でも気づいていない何かが潜んでいる。

 

 

 

 ついで福田が目を向けたのは「モノとしての言葉」の在り方である。なるほど、言葉は事象を指し示す記号であるが、同時に、イメージが結晶化した「モノ」としての側面も持つ。そしてモノであるからには、言葉にも手ざわりがあるし、重さがある。
 冒頭、師範代たちに過去作品を共有したのは、まさにその「モノとしての言葉」の手ざわりを感じてもらうためだった。
 実はその知文、福田が初めて師範代登板した期にアリス大賞に選ばれた作品。それからすでに10年近く経っているが、本との関係を描出する際にその学衆が用いたメタファー、《薄紙のように張り付いた》という言葉を目にしたときの驚きを、今でもありありと覚えているという。「私の中で一生忘れられない表象になっています」。手ざわりをもった言葉とはどういうものか、福田の思い入れともどもビビッドに伝わってくる。
 松岡正剛は「つけまやスニーカーのバージョン」にあやかることを勧めていたが、世に出回るモノたちが多様な姿をもつのと同様に、800字の中の一語一語もまた、言い換えによっていかようにも変化する。回答に潜む荒削りの原石を敏感に察知し、それをとびきりの“超部分”にまで引き上げること――ここにこそ、「読み手」かつ「編集者」としての師範代ロールの醍醐味がある。

 「ぜひともスニーカー2000足分の言い換えを学衆さんに迫ってください!」。カラッとにこやかな福田からの叱咤激励を胸に、54[破]師範代たちは錬成稽古の最終局面へ身を投じた。

写真/得原藍、バニー新井

図解資料/岡村豊彦

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橋向こうの景色――53[破]感門ルポ https://edist.ne.jp/post/53hakanmonrepo/ https://edist.ne.jp/post/53hakanmonrepo/#respond Fri, 11 Apr 2025 00:53:08 +0000 https://edist.ne.jp/?p=84291  世界には境界がある。「こちら」と「向こう」を分けている境界線だ。  向こう側を覗いてみたい、知りたいという抑えきれない好奇心と編集という方法が2つの世界を繋ぐための“橋”を生み出す。どんな世界が広がっているのだろうか、 […]

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 世界には境界がある。「こちら」と「向こう」を分けている境界線だ。

 向こう側を覗いてみたい、知りたいという抑えきれない好奇心と編集という方法が2つの世界を繋ぐための“橋”を生み出す。どんな世界が広がっているのだろうか、未知への期待と少しの恐怖が渦巻きながら、私たちはいくつもの“橋”を架けることに挑み続ける。

 

 まだ冷たい風が吹く3月9日。感門之盟は別院のコンセプト「東海道53次」のようにリアルでも東京「本楼」を飛び出し、京都市左京区の「京都モダンテラス」で行われた。まさに“出遊する感門”である。平安神宮に隣接するモダニズム建築は、一歩室内に入ると冷たい風が止み、柔らかな陽射しが降りそそぐ。「Bridge Over the Bridge」と名付けられた感門は、橋をキーワードに場所、時代、そして人へと橋を架けることを様々なアプローチでコンテンツにしていく。この式自体がまさに編集の実践の場だった。

 

 美味しい料理とアルコールを口にし歓談する参加者の様子は、いつもの本楼での感門之盟とは一味違う雰囲気を作り出していた。慣れた本楼での開催ではなく、京都への出遊に踏み切った理由を知りたくなった私は、[破]の原田淳子学匠にこっそりと尋ねてみた。

▲登壇者に耳を傾ける参加者たち

 

 「いつも東京に来てくれる関西に住む学生の師範代が、“一度でもいいから関西でやってほしい”とこぼしていたんですね。この言葉に応えたくなりました。それに今なら面影となった松岡校長がどこまでもついてきてれる。だからできると思いました」

 原田学匠はいつも通り穏やかに、でもいつもより熱く語ってくれた。

▲本棚の上の松岡校長の本と写真

 

 当日は福田容子評匠や奇内花伝組といった関西にゆかりのあるイシス編集学校のOB、OGが準備のためにたくさん集まった。橋を渡る決断の裏には、イシスが架け続けた橋の存在があったのだ。

 

 53[守]に師範代として登板した私は、53[破]に進んだ同期師範代、そして自分の教室から進破した学衆に直接お稽古の話を直接聞きいてみたいと、今回、京都を訪れた。53[破]への橋を渡った師範代達は指南の難しさや葛藤と師範代だけが味わえる格別の楽しさについて語ってくれた。「師範代」と呼び掛けてくれたのは私の[守]の教室の学衆の2人だ。「難しい」、「大変だった」と橋を渡った未知の世界での景色を振り返りながら、溢れる笑顔で話してくれた。イシス編集学校には[守]と[破]、そして[花伝所]へと繋がる橋がある。「向こう」側での経験は、自分の見方や考え方をぐっと広げていく。

 

 「編集という刀を使って、橋を架け続けてください」

 原田学匠の言葉は、53[破]師範代という目の前に架かる橋に気づきながら、渡ることをやめてしまった私にぐっと刺さった。この痛みを感じたのはきっと私だけではないだろう。仕事で、日常で、あらゆる場面で橋を架けることを諦めている人にも、深く刺さったのではないか。でも私たちはこれが痛みだけで終わらないことも知っている。この「痛み」も、編集という方法を使うことで、もう一度橋を架けることに挑戦する「勇気」へと変えることができるのだから。

 

 

文/山口奈那

アイキャッチ/大濱朋子  

文中写真/中村裕美

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【追悼】松岡正剛 心は一秒たりとも寝ていない https://edist.ne.jp/past/tsuito_fukudayoko/ https://edist.ne.jp/past/tsuito_fukudayoko/#respond Fri, 06 Sep 2024 23:45:06 +0000 https://edist.ne.jp/?p=75073 書籍『インタースコア』の入稿間際、松岡校長は巻頭書き下ろしの冒頭二段落を書き足した。ほぼ最終稿だった。そろそろ校了か、と思ってファイルを開いて目を疑った。読み始めて、文字通り震えた。このタイミングで、ここにこれを足すのか […]

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書籍『インタースコア』の入稿間際、松岡校長は巻頭書き下ろしの冒頭二段落を書き足した。ほぼ最終稿だった。そろそろ校了か、と思ってファイルを開いて目を疑った。読み始めて、文字通り震えた。このタイミングで、ここにこれを足すのかと。これが松岡正剛の編集なのかと。「心は一秒たりとも寝ていない。」で始まる一連の文章は、最後にしつらえられた扉だった。わずか250字にして、後に続く530ページを一気に旋回させる鮮やかな入口となっていた。

 

編集はチームで活性化するが、文章を書くことはどこまでも孤独だ。独りでするしかない。両者の関係は、たとえば連想と要約に似ている。書籍『インタースコア』の制作は連想や拡張が先行した。その結果のあの厚みだったわけだが、連想ばかりではダブルページに着地しない。何度か編集会議を持つもののなかなか原稿が上がってこず、一方で構想はよく動き回っていた。松岡校長はやきもきもいらいらもしていただろう。

 

「もうとにかく書いてみなさい」

私の提出した何回目かの構成プロットに対して松岡校長はそういった。あ、これは最後通牒だ、と背筋が冷えた。次の編集会議には、なんとか半ばまで書いた原稿を提出した。といっても、手が定まらないから書いても書いても遅々として進まず、型の力を借りてなんとか書き進めたものだった。「いじりみよ」にも「よもがせわほり」にも型負けして、途中で「5W1HD」に切り替えたことをよく覚えている。

 

本楼でブビンガを囲むディレクションの場で、松岡さんは私の書いた原稿をゆっくり読み進めていった。松岡校長ではなく松岡正剛の顔をしていると感じた。あんなに緊張したことはない。読み終えると、途中までしか書けていないことは見逃してくれたうえで、「うん、この感じでいいでしょう。だけど、ここ、”やりとり”はちがうね」と言われた。

 

私が担当したのは、第3章、編集学校の師範代についての章だった。教室で起こること、師範代や学衆の言葉がオンライン上の教室で飛び交い混ざり合って、そこにえもいわれぬ生き生きとした場が立ち上がることをなんとか説明しようとしていた。言われてはっとした。

 

他の部分でならいい(現にその直前部分には残した)。だが、そんなアクチュアルな現象をあらわすのに「やりとり」はない。そんなありきたりな、どんな意味のないコンベンショナルな応酬にも使われる言葉で表現してしまっては、対象自体が小さくなってしまう。呼び名をおろそかにするということは、それそのものをおろそかにすること。一語の向こうに千語があり、編集的世界観はただ一語から示すこともできる、それが文体編集術なのだと遅まきながらようやく文字通り腑に落ちた、私にとっての“雷鳴の一夜”だった。

 

文章はシステムで言葉はその構成要素。うかつに持ち込んだ言葉は、一点のほころびではなく、文章全体を崩れさせる。同じように、メタファーのワールドモデルを混在させてはいけないという戒めも、『インタースコア』でのディレクションだった。「登山」と「航海」が近接するテキストに対して、「山メタファーで行くなら山でいく。海を持ち込まない」。

 

編集は言葉を扱い、言葉で世界を動かし、揺らしていく。だから松岡正剛は言葉をとても重視していた。言えそうにないものを、それでも言葉で編み上げようとするなら何が可能か、どうすればできるのか、そこに方法と編集の技術と才能と努力を注ぎ続けていたと思う。

 

その後、続くパートで「伝習座」について書くなかで、松岡校長が日頃どれほど注意深く言葉を扱っているかを私はまざまざと見た。およそ私が読むことのできたあらゆる言及のなかで、校長は一度も勉強会とか研修とか講習という指し方をしていなかった。そのようではないことを、手を変え品を変えて言わんとしていた。編集学校にとって「伝習座」とは何なのか。それを語る校長松岡正剛のテキストのなかに、概念工事の手がかりは克明に記されていた。その後ろ姿を追いかけたのが『インタースコア』第3章の拙文だった。

 

松岡校長は編集長の仕事を「最初に走り出して最後を引き受ける者」といった。
そして『インタースコア』一章は、こう始まっている。

 

心は一秒たりとも寝ていない。エマニュエル・レヴィナスは「意識こそが存在だ」と書いた。富永太郎は「夢の中で失格するということがおこる」と書いた。体はどんな細部も止まっていない。三木成夫は「われわれは胎児のころから目覚めている」と言い、ワツラフ・ニジンスキーは「立っているだけで世界との格闘がおこっている」と言った。

 編集もじっとしていない。動かない編集は編集ではないし、じっとしているエディターにはエディターシップはない。編集は変化なのである。編集はつねに変化しつづける「そこ」にさしかかって仕事をする。

 

 続く一章の一節で、校長は私の将来を「エディティング・プロデューサー」と予見した。「そうなってゆけ」という難題をもらったと思っている。

 

イシス編集学校 師範 福田容子

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【破 文体編集術体験ツアー 】カクカタル・伝える力の磨き方開催記 https://edist.ne.jp/post/haet_repo20240320/ https://edist.ne.jp/post/haet_repo20240320/#respond Mon, 01 Apr 2024 23:00:18 +0000 https://edist.ne.jp/?p=69636 仕事で、家庭で、社会で、乗り越えたり打ち破ったりしなければならない壁はあちこちにあるだろう。編集学校では今、その「壁」が話題になっている。   発端は51[破]の秘密として第83回感門之盟「エディット・タイド( […]

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仕事で、家庭で、社会で、乗り越えたり打ち破ったりしなければならない壁はあちこちにあるだろう。編集学校では今、その「壁」が話題になっている。

 

発端は51[破]の秘密として第83回感門之盟「エディット・タイド(EDIT TIDE)」2日目で明かされた、指導陣のこれまでとは異なるTIDE(態度)だ。ふくよ番匠こと福田容子は語る。

 

編集稽古に手本はいらない。個人がなんでも調べることができてしまうこの時代。師範代自らが学衆の壁になるしかない。

 

遊刊エディストJUSTライターチームでも、「あれは絶対に記事に残したい」と高速編集が行われた。

 

同じ日に教室名をもらったばかりの来季[守]講座の師範代たちも「[守]における壁とは何?」「[守]は入門編だから壁はいらないのでは?」など、講座そのもののあり方をめぐるイキイキとした対話がはじまった。

 

[守]と[破]の間でうずうず、ゆらゆらしている人たちの心境はどうだろうか。壁を前に決意を新たにしたり、立ちすくんだり、様々なことだろう。[守]に入門しようか迷っている人たちは何を思っただろうか?

 

そんな中、感門之盟Day2とDay3の間、3月20日、本楼にて、張本人であるふくよ番匠のエディットツアーが始まった。テーマは「カクカタル・伝える力」。「伝えたい」と「伝わる」の間に立ちはだかる壁を、[破]の文体編集術で学ぶ型でぶち破るものだ。

 

  ◇     ◇     ◇

 

■怖いからこそ、登りたい

本楼に集った14人がツアーに差し掛かるまでのTIDE(経緯)は様々だ。[守]を卒門したばかりの人、編集学校未経験の人、[破]に進む前に「石橋を叩きにきた人、次期師範代、師範代経験者、仕事で編集をしている人もいる。祝日開催らしく、5歳と0歳のチャーミングなお客様もいる。5歳のAちゃんは開講前から参加者のひとりに絵本を読んでもらっている。すっかり共読モードに着替え終わったようである。

 

Aちゃんが読んでいた絵本。きょうの本楼は子ども編集学校のようだ。

 

ふくよ番匠、原田[破]学匠、編集学校を切り盛りする八田律師が参加者を本楼へ誘う扉となって登場する。それぞれの挨拶の後、八田律師による本楼案内が始まった。案内図を見ながら本楼の全体像を伝えてから、各コーナーの紹介をしていく。本楼初体験の参加者に配慮してか、珍しい本については一言案内が加えられる。

 

「日本ではセンシティブに扱われがちな宗教にまつわる本や任侠の本も、あらゆる情報の一つと捉えて広く編集対象としています」。本棚対する校長松岡正剛のエディット・タイド(EDIT TIDE)が参加者に届けられ、本楼への扉が開かれた。

 

本楼を案内する八田律師

 

一冊の本の前で立ち止まる人。スタスタと梯子を登る人、柱や棚板の材質や構造に興味を示す人、ブビンガ製のテーブルに吸い寄せられる人、知っている本に出会いホッとする人、それぞれの本楼体験が起こった。Aちゃんの冒険も始まった。梯子に登った参加者に倣って、恐る恐る梯子に登り出したのだ。登りきったあとは、特に本を手に取ることもなく、しっかりとした足取りで、梯子を降りた。歓声と賞賛の拍手が沸き起こった。

 

■型ナシ→型カタリ

いよいよ「カクカタル・伝える力」の体験ワークがはじまる。「書く」を「語る」と読み替えて、今、本棚から選んだ伝えたい本の中身を「ねえ、聞いて聞いて」と相手に語るのだ。

 

まず型を使わずに相手に語ってもらったあと、型を使って情報を整理し語り直す、という形でワークが進んでいく。参加者の語りはどう変化するだろうか?

 

最初の型は「3つのカメラ」。1つめは行動や動きを捉える足のカメラ。本なら装幀やページ数、本の構成などがこれに当たる。2つめは目のカメラで、実際に見えるものを捉える。3つめは心のカメラで、感じていることを捉える。これらをバランスよく使っていく。

 

ふくよ師範は「カメラのコツは子どものような目で対象を発見的に見ること」と伝え、Aちゃんの様子を紹介する。その目のカメラは本棚に置かれたリモコンを捉え、リモコンでライトの色を変えられることを発見していた。梯子を一段一段確かめながら登った時には足のカメラが、恐れや喜びを全身で感じ、表現しているときには心のカメラが連動して起動していたのだろう。

 

■型カタリ→型×型カタリ

3つのカメラだけでも、相手が理解しやすい語りになるのだが、ここからが加速するのが編集学校。ここにさらに別の型を掛け合わせていく。

 

3つのカメラで捉えた情報は立体的で複合的なので、たくさんの情報が一つの画像にひしめきあっている。一方話し言葉や書き言葉は一度にあれもこれも同時に伝えることが難しい。だから、情報を整理し直す必要がある。そのために、ホップ・ステップ・ジャンプ、カメラ+電話=スマホ、など情報を3つずつ束ねる型を用いて、構造化していく。こうすることで、相手は話の内容を捉えやすくなるのだ。

 

ここで参加者には再び伝えたい本を語り直してもらう。「みなさんがどんどん堂々としてきた」とふくよ番匠は目を細める。

 

ちなみにふくよ番匠自身も講座自体を「型のワーク→解説&編集学校の紹介→参加者の振り返り」「型を使わない場合→1つ目の型を使った場合→2つ目の型を重ねた場合」など、ポイントを3つに分けながら組み立てている。同時に参加者の様子を足のカメラで時間配分を考え、目のカメラで参加者の様子を見守り、心のカメラで状況を察しては「わからなくなったらアイコンタクトで知らせてくださいね」など声掛けをするなど、3つのカメラも活用している。もちろん、壁・膜・扉の3つの間を行き来しながら使い分けてもいる。このふくよ番匠の立ち回りは師範や師範代などベテラン参加者にとっても、貴重な学びになっただろう。

 

柔らかい膜となり型と参加者を繋ぐふくよ番匠

 

その傍らでAちゃんも絵本を読んだり、大人を真似て文字を書いたり、色鉛筆を一番きれいに見えるようにと方針を決めて並べ替えたりと、のびやかに編集的に遊んでいた。ふくよ番匠も「校長も編集の場に子どもがいることの大切さを語っていた」とその場で起きたことも編集のチャンスと捉えて、毛布のような暖かい膜になってAちゃんを包み込んでいた。

 

■編集ガタリ

40分ほどのワークが終わり、ふくよ番匠による振り返りと解説がはじまった。このプログラムは[守]を終えて[破]に差し掛かる人のために用意した内容だった。ところが参加者の中には[守]未受講の人たちもいたため、基本的なことも織り交ぜながらら[破]の型を体験してもらうようにしたという。これを全員がクリアしたことにふくよ番匠は「驚きと共に感動している」と語った。

 

続けて実際の[守]と[破]の稽古で何を学ぶのかが、紹介される。編集学校の講座は[守][破][離]と進む。[守]ではまず、世の中にはナマの情報はなく、伝える人や受け取る人により編集されていることに気づき、次にその情報を自分が扱いやすい状態にする型を学ぶ。固まって動かなくなっている情報をわけて・あつめて、関係性を見極めて自分の持っていきたい形に構造化し、伝えるためのお化粧をするための型を学ぶのだ。

 

[破]ではきょう「話す」という形でやったことに「書く」という形で取り組んでいく。私たちは言葉でコミュニケーションをとっていて、かつ概念は言葉の形をしているので、言葉で概念化しないと伝えることができない。だから言葉に意識的になり、言語化、文章化して伝えることを学ぶ。伝えたいことを言語化できないと、そもそも編集のスタートが切れないのだ。

 

また、伝え方を考えることで、見方に対する発見が起こることも大事だ。ふくよ番匠は「最初に本楼を歩いたときと、伝え方を考えた今とでは、本楼の見え方が違うはず。この見方が変わることへの驚きこそが、書くことを通してやっていきたいことなんです」と言い切った。書くことで新たな見方を発見する力を得る。これが[破]で最初に学ぶ「文体編集術」だ。ここを突破できるかが鍵になる。その後はその力を生かして「クロニクル(時間)編集術」「物語編集術」と進み、校長の仕事術である「プランニング編集術」を4カ月で学ぶことになる。

 

原田学匠からは校長本2冊と共に[破]が語られる。まずは『情報の歴史21』。人間が登場する前から2021年までのあらゆる情報の歴史をオール年表で記したものだ。この情報の網目の中に自分達が存在することを自覚し、モノゴトを興していくのが校長の仕事で、その仕事術を学ぶのが[破]だ。

 

2冊目の『松岡正剛の国語力』。日本の学校では小学校から国語を学び続けるのに、書き方、話し方はほとんど教わっていない。そこに型があれば書けるということを教えてくれる本で、これが[破]の文体編集術で学ぶことだ。型があれば書きはじめることができ、書きはじめることで今まで気づいていなかった新たな自分の思考に出会うことができる。これが文章を書くということで、考えるということでもある。はの稽古と校長の仕事術と社会を結びつけての話で、参加者の視野がより一層広がった。

 

『情報の歴史21』と重ねながら[破]の稽古を語る原田学匠

 

■心のカメラで振り返り

最後は参加者の振り返りタイム。「型を使った方が格段に伝わるようになった」「こうやれば書けるとわかった」「[守]の型の威力が改めてわかった」「自己流ではなくやり方を学ぶ必要があるとわかった」などの声が続く。その一方で逆にやりにくさを感じた人もいた。正しい型の使い方が気になって、軽やかに使いこなせなかったようだ。ふくよ番匠は「正解を求める心から解放させてくれるのが編集。覚悟がついたら[破]へどうぞ。私が言っても説得力ないですが、怖くないですから」と柔らかくも力強く応じた。その後も指導陣には厳しい壁に、参加者には優しい膜になりながらの応接が続いた。最後はAちゃんの心のカメラが起動し、「楽しかった」の声でお開きとなった。

 

■怖いからこそ、破りたい

ふくよ番匠は怖くなくても、型を使うとは自分の慣れ親しんだやり方を使わないということだから、怖さがつきまとう。今まで拠り所にしていた正解が消えることを、怖いと感じる人も多いだろう。[破]の稽古には壁なんてないよ、とも言わない。

 

でも、怖いからこそ、壁があるからこそ、破りたい、乗り越えたいと思うのだ。Aちゃんが恐れながらも高い梯子に足を掛けたように、怖いまま、不安な気持ちごと持ち込んで進みたい。そう思ったらぜひ[破]へ踏み出そう。硬軟自在な指導陣が迎えてくれるだろう。

 

[破]応用コース申し込み受付中!

https://es.isis.ne.jp/course/ha

※クレジットカードがご利用になれます。
※学割制度、再受講割引制度があります。
※毎期20名限定、23歳以下の学生の方は受講料が半額になる『U23』割引があります。(先着順)

 

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【破 文体編集術体験ツアー 3/20開催】カクカタル・伝える力の磨き方 https://edist.ne.jp/just/haet20240320/ https://edist.ne.jp/just/haet20240320/#respond Wed, 13 Mar 2024 14:39:57 +0000 https://edist.ne.jp/?p=68598 2月20日午前0時、八田律師から[破]の福田容子(ふくよ)番匠に緊急メールがとんだ。 突破後のあれこれ重なる時に、また緊急のお願いです。 今回のタブロイドは、各講座のあたまに、今期の特徴を書くスペースができました。 大急 […]

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2月20日午前0時、八田律師から[破]の福田容子(ふくよ)番匠に緊急メールがとんだ。

突破後のあれこれ重なる時に、また緊急のお願いです。
今回のタブロイドは、各講座のあたまに、今期の特徴を書くスペースができました。
大急ぎ、明日明後日には初稿をお願いしたく、可能でしょうか。

感門之盟記念のタブロイドの入稿が迫る中、いまから350字で51[破]の愉し苦しの旅路を紹介してほしいとの依頼だ。

 

2時間40分後、ふくよ番匠からの返信があった。

破の今期の潮流、やはり昨年7月の校長ディレクションからの流れがここに続いていますよね。
そんなことも振り返りながら、ざっとさらってみました。

各講座受講生のもとに現在(3月13日)届きつつあるタブロイド。[破]のページ冒頭のふくよメッセージは、オーダーから3時間足らずで高速編集されたものであった。律師の注文どおり、350字にきっちりおさまっていた。

 

律師からのお返事は、

このスピード感と、この仕上がり、さすがです。
私もこんなふうに書けるようになりたい(涙)

 

なりたいみなさん、[破]で文体編集術を身につけよう!
文体編集術は、[破]の最初の1か月で学ぶ型。その後の3か月のお題、クロニクル、物語、プランニングを支えるツールとなるものだ。これは一生モノになる。一生かけて研ぎ続け、磨き続け、使い方を工夫してゆくべき道具、いや宝なのだ。
「もはや文体編集術以前に、どうやって文章を書いていたのかわからない」
ふくよの至言である。
 
3月20日(春分の日)のエディットツアーでは、ふくよ本人があなたの「カクカタル・伝える力」にカーソルを当てる。いきなり文章を書かせたりしないので、ご安心を。
文体編集術のなかのいくつかの型を使ってみる。すると、いままでの自分からは出てこなかった言葉がでてくるだろう。オーダーに応えて高速で書き上げるまでには、もちろん方法の錬磨が必要だが、まずは一歩。知ると知らぬでは大違いの、伝える方法を取りに来てほしい。

 

お申し込みはこちらから。

 

[破]の編集術の一端を体験できるワークショップ
【カクカタル・伝える力の磨き方】
■日時:2024年3月20日(水・祝)14:00-16:00
■費用:1,650円(税込)
■会場:リアル(本楼)
■定員:先着20名
■対象:どなたでも参加できます
■お申込み:<破>エディットツアー2024年3月20日

 

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龍がクジラになる国◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:福田容子 https://edist.ne.jp/nest/yushitessen2401-etokyoto-fukuda-yoko/ Sun, 21 Jan 2024 23:45:36 +0000 https://edist.ne.jp/?p=66059 ▼辰年と聞くと義兄の顔が浮かぶ。辰すなわち龍は十二支唯一の空想動物なわけだが、これがウズベキスタンでは鯨になるのだと、そのウズベク人の義兄から聞いて驚いたことがあるためだ。前の辰年より少し前のことだったと思う。なぜそんな […]

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▼辰年と聞くと義兄の顔が浮かぶ。辰すなわち龍は十二支唯一の空想動物なわけだが、これがウズベキスタンでは鯨になるのだと、そのウズベク人の義兄から聞いて驚いたことがあるためだ。前の辰年より少し前のことだったと思う。なぜそんなことになっているのか、不思議に思って少し調べたが、よくわからない。一方で、ユーラシア大陸のど真ん中、海のない中央アジアの人々にとって、一生見ることのない海獣と空想の霊獣のリアリティにどれだけの差があったかと考えると、両者が置換されたことをなんとなく納得のいくようにも思ったものだ。


▼また辰年が巡ってきた。今回このエピソードに加えて想起されるのが、京都・東本願寺阿弥陀堂門の獅子である。

 

▼獅子は、ネコ科の猛獣ラオイン(lion)であると同時に、それをもとに生み出された空想の動物であり、文殊菩薩の乗り物であり、魔を圧する霊力を持つ存在であった。これを象ったのが獅子舞や狛犬の相方の獅子だ。麒麟とキリン(giraffe)ほどかけ離れてはいないが、おおむねあまりライオンっぽくはない。


▼ところが、この阿弥陀堂門の四隅にある木鼻の獅子は、かなりライオン度が高い。鼻が前に突き出した頭のフォルムといい、鼻腔の形といい、克明な爪の付け根の膨らみや掌の肉球といい。写実的というか、ちゃんと中に頭蓋骨や骨格がある感じがする。


▼どうしてそんなことになったのか。それは、本物のライオンを見たからだ。というのが東本願寺のある僧侶が語ってくれた仮説である。実際、この阿弥陀堂門落成より8年前に京都にも動物園が開園し、ここにライオンがやってきた。これを見て写生したことによって、ここの獅子はこんなにもリアルになったのではないかというのである。一理も二理もあると思った。


▼京都の動物園は明治36年に開園し、明治43年に日本で初めてライオンの繁殖に成功している。本物のライオンに対面し、「これが獅子か」と受けたインパクトをこめた表象が、この木鼻。そう考えるのはあながち飛躍しすぎでもないのではないか。実際、近代京都画壇の画家達は、竹内栖鳳、山口華楊を筆頭に、美術館に隣接する動物園で動物の写生を重ねた。栖鳳のライオン・華楊の黒豹、なんてミメロギアもできてしまう。動物園から徒歩5分の場所に浅井忠らが開いた洋画研究所「関西美術院」もあるくらいだから、これが東本願寺の木鼻まで波及しても不思議はない。


▼そう自然に思えるのは、東本願寺がモダン建築の宝庫であり、新しいものの取り入れ方が柔軟で、まぜ具合が絶妙だからでもある。東本願寺は幕末に禁門の変の大火で焼失し、阿弥陀堂と御影堂の両堂をはじめ現在の境内はすべて明治以降の再建だ。NHK紅白歌合戦でAdoが歌った能舞台もそう。1880(明治13)年に建てられ、1937(昭和12)年に現在の場所に移築、昨年2023年に重要文化財に指定された。


▼建設年代だけの話ではない。外観は伝統的な日本建築でありながら構造や建材に西洋の技術を使っていたり、室内意匠に影響を受けていたり。たらこスパゲッティを地でいく融合ぶりなのである。また、江戸時代に火事で四度焼失した経験から明治の再建時は防火対策に注力したが、ここでもまぜ上手の手腕を発揮。宗主の住宅棟は武田五一が設計して鉄筋コンクリートで建てたし、境内の消火用水として、なんと琵琶湖疏水から専用導水管を直接引き込み「本願寺水道」を敷設した。しかも屋根の躯体内部にドレンチャーを通して上から散水できる装置を仕込みさえしたのである。伝統的なつくりの寺院建築の屋根の内部に、こんなにも近代的な設備が人知れず存在するなんて、考えるだけでゾクゾクする。


▼こういう隠し方が東本願寺は本当に粋だと思う。表向きは上手に混ぜて馴染ませるかと思ったら、内側では度肝を抜くような冒険もする。先述の洋館住宅は参拝者からは見えない奥に秘されているし、きわめつけは1998(平成10)年につくられた高松伸の視聴覚ホールである。亀岡末吉の菊門と大寝殿の間、その地中に、巨大なコンクリートの地下神殿が埋められているのだ。こんなものがこんなところにあるとはきっと誰ひとり思わない。懐深く入っていって初めてこのラディカルな空間に出会えるのである。


▼さても「辰年」シソーラスの次々と翔んでいけること。この勢いで編集が飛躍する一年に期待したい。

 


※トップ画像:東本願寺阿弥陀堂門木鼻の獅子。2023年11月、京都モダン建築祭にて撮影。

 

東本願寺視聴覚ホール

 

 

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◢◤福田容子の遊姿綴箋

 京都は神社が少なく教会が多い?(2023年12月)

 龍がクジラになる国(2024年1月) (現在の記事)

 

◢◤遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?

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異物を取り込み、表象に向かう――51[破]伝習座レポート https://edist.ne.jp/post/51ha_denshuza_hagukumu/ https://edist.ne.jp/post/51ha_denshuza_hagukumu/#respond Sat, 30 Dec 2023 03:00:46 +0000 https://edist.ne.jp/?p=65673  2023年の流行語年間大賞は、38年ぶりに二度目の日本一に輝いた阪神タイガースのスローガン、「アレ」だ。「明確な目標(Aim)に向かって、先達に敬いの気持ち(Respect)を持って、個々がさらにパワーアップ(Empo […]

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 2023年の流行語年間大賞は、38年ぶりに二度目の日本一に輝いた阪神タイガースのスローガン、「アレ」だ。「明確な目標(Aim)に向かって、先達に敬いの気持ち(Respect)を持って、個々がさらにパワーアップ(Empower)することで最高の結果を残していく」というメッセージだ。個の成長・育成を志向する点では似ているが、イシス編集学校とはやや異なる。校長の松岡正剛の『見立て日本』にはこうある。

 

おそらく「育てる」にはムリがあるのだろうと想う。「育む」のほうがいいのではないか。成長計画には目標が設定される。そのためついつい外挿的な指示が多くなる。これに対して「育む」は少し手を貸す程度で、伸びやすいほうに「なる」を促せる。

 

成長も育成もむしろ異質や異物との出会いでおこるかもしれないということだ。見知らぬアートに驚き、剛速球に空振りし、歴史の溝に落ちてみるのも、「育」なのである。

 

ー『見立て日本』松岡正剛「育む」ー

 

 2023年11月25日(土)に開催された51[破]の2回目の伝習座はこの「育む」が体現される場となった。この日、どのようなことが起こったのか。最初のプログラム、師範代による2か月間の師範代活動の振り返りから見ていこう。

 

 「学衆の可能性に限界はない。言葉にできていないものが見えたら、徹底的にそこに切り込む」。静かに言いきったのは、マジカル配列教室の師範代、森下揚平だ。指南に必死に返そうという過程で、その学衆にしか紡げない言葉が引き出されてくるとのことだ。「日常が変わった。人との関係が深くなった」と話したのはカタルトシズル教室の師範代、新垣香子だ。これまで友人から相談を受けると、共感や受容をせねばと思ってきた。が、今は指南のように問感応答返しているという。すると、相手のなかに新たな動きが始まるのがわかるそうだ。

 

 51[破]の師範代の多くは、51[守]の師範代を勤めあげ、9月の第82回感門之盟で学衆と共に卒門を寿いだばかり。たった2か月の[破]師範代の活動を経て、放つ言葉が大きく変わった。どの師範代も、自らのうちに去来する気づきや宿った決意をあらわすための言葉を探しだし、命を与えるように場に置いていく。

 

 この日の開講メッセージで、律師の八田英子は「普通の言葉で返事をしないこと」と場のルールを定めた。普段しないことに向かわねば、内に潜むデーモンが出てこないからだ。イシスの指導陣は、決してわかりやすい成長目標を示さない。変化が生まれやすいほうに手を差し出す程度だ。どのように変わるかは、それぞれでよい。

 

 学匠、番匠、評匠、師範、学林局が、こぞって師範代たちに、異物異質を投入する。番匠の野嶋真帆は「始まりは正常と異常の境界を越えるところから」と物語編集を語り、学匠の原田淳子は「異化」というキーワードでプランニング編集を伝える。評匠の中村正敏は、あらゆる囚われを脱するための座右の銘として「自由編集状態」という言葉を手渡した。どんなときも「どのような編集が動いているのか」という目で見よというのだ。最終盤に登場した林頭の吉村堅樹は、最初から「逸脱してやろう」という構えでとことんハイバーに向かえと煽った。彼らも、同等の、いや、それ以上の異物と異質を先達から贈られ続けてきたからだ。

 

 

 最後のプログラムは、師範代たちが得た気づきを振り返る時間だ。「反省ではなく、次に進むための言葉を」と番匠の福田容子が、ここでも普通を許さない。「受容を手放す。学衆の壁になり続けるとを決めた」と新垣。師範代たちの声量が数時間前より何倍か増した。指導陣と交わしあって自らの進む方向を見出したのだ。

 

 

 [破]の伝習座だからと言って、集まるのは[破]の指導陣だけではない。各教室から選ばれた10名の学衆、他講座の指導陣も立ちあった。眼前で変化を遂げる師範代の言葉に学衆たちが声をあげた。「師範代の覚悟と使命感ってすごい。指南を今まで以上に自分の肉にせねば」「師範代の稽古への熱意と覚悟にくらいついていく」「もっと指南を受けよう」。稽古への覚悟が深まっていく。

 

 

 

情報が情報を呼ぶ。
情報は情報を誘導する。

「情報は孤立していない」、あるいは「情報はひとりでいられない」ともいえるだろう。

 

ー『知の編集工学』松岡正剛ー

 

 「私たちは表象せずにはいられない」。[破]指導陣が混然一体となって変わっていく場を目の当たりにし、52[守]から駆けつけた師範の稲垣景子が呟いた。覚悟の熱は、飛び火する。稲垣は、一週間後の52[守]の2回目の伝習座で、「進破は不可欠」と語った。

 

「守」がInside hereなら、イシスの外の日常がOutside there。元々は、そのOutside thereに何か編集しきれないと感じるものがあったから、ここにやってきたはず。Outside thereの編集には、世界と自身とを交わらせた相互編集が欠かせず、表象しなければ編集したとは言えない。だから相互編集と表象へ向かう[破]が不可欠だ。

 

 

 [守]では、どんな物事も情報と捉えることで編集が可能であり、型と方法でもって動かせることを体感する。自身のうちに蠢く編集的な渇望に目覚める場でもある。[破]は、それを他者に向かってリプレゼンテーションすることに向かう。編集は、あらわしていかねば、「ない」も同然である。[守]と[破]は、もともと連環しているのだ。


 52[守]は、用法3のただ中にある。2回目の番選ボードレールも始まった。イシス編集学校という異質でユニークなワールドモデルに浸りきれば、内なるデーモンとの出会いが間違いなくおとづれ、そこから育まれるものがある。51[破]の師範代と学衆たちの姿が物語る。

(写真:後藤由加里)

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京都は神社が少なく教会が多い?◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:福田容子 https://edist.ne.jp/nest/yushitessen2312-christmas-kyoto-fukuda-yoko/ https://edist.ne.jp/nest/yushitessen2312-christmas-kyoto-fukuda-yoko/#respond Tue, 19 Dec 2023 23:45:53 +0000 https://edist.ne.jp/?p=65120 ▼京都はぞんがい教会が多い。人口10万人あたりの教会数は、全国47都道府県中じつに5位。寺院が意外にも13位どまり、神社に至ってはまさかの32位(つまり下から16位)だから、相対的に見て全国平均より神社が少なく、教会は多 […]

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▼京都はぞんがい教会が多い。人口10万人あたりの教会数は、全国47都道府県中じつに5位。寺院が意外にも13位どまり、神社に至ってはまさかの32位(つまり下から16位)だから、相対的に見て全国平均より神社が少なく、教会は多いということになる。知らなかった。何より、20年暮らしていての実感と真逆の与件だった。面白い。

▼2022年から開催している京都モダン建築祭は市内の近現代建築が特別公開される催しで、寺社や紅葉といったステレオタイプな“京都”の外側に眠る新たな価値を問う試みである。今年これに7つの教会が参加し、一般に公開された。東方正教会、カトリック、メソジスト系プロテスタント、プロテスタント・ルター派、日本聖公会(英国国教会)。出自も教義も行事も異なるさまざまな宗派の教会が市内各地で扉を開き、見学者をあたたかく迎えてくれた。

▼「建築公開」というフィルターを通して7つの教会を訪れてみると、今ここにある建築のモードが、いかに建てられた時代のコードを負っているかがよくわかる。

▼参加建築のひとつカトリック河原町教会は河原町三条にある。京阪三条駅と京都市役所の中間、今となっては繁華街のどまんなかだ。だが初代聖堂が建てられた明治23(1890)年当時、ここはまだ市街化再開発のさなかだった。そこに荘厳なゴシック聖堂が木造煉瓦造で建てられた。琵琶湖疏水開削を進め政治・教育・文化・産業の近代化を急ぐ京都にあって、天を指す聖ザビエル天主堂の姿はどれほど圧巻だったろう。現在は明治村に移築され、白亜の麗姿で今も見る者を魅了している。

▼現在の建物は二代目だ。昭和42(1967)年竣工と、今回公開された7つの教会のなかでもっとも新しい。高くそびえるカトリックの伝統は守りつつ、フォルムも意匠もシンプルで現代的。さらに特筆すべきは内部空間のあり方だ。厳かな空間に上方から光が降り注ぐのではなく、白く明るい聖堂内に地面と同じレベルの両サイドから光が入り、光は反り上がる天井と共に上昇していく。

▼ここには高みから見下ろす絶対者はいない。ステンドグラスの聖人は我々のすぐそばを並び歩いている。施主や設計者の意図がどうであったかは知らない。だが、ありがたい光を上から降り注がせるのではなく地べたに近い位置から水平に取り入れたこの清々しい大聖堂にいると、1960年代、戦後の高度経済成長期に夢見られた平和の理想が理屈を超えて肌に沁みてくる。よくよく練られた静かな逸脱と呼びたい滋味である。

▼建築祭当日、ここを担当していたボランティアスタッフから写真と共に報告があった。「時間によって陽光の入り方が変わって美しいです」。窓位置が低いから夕方の西日も室内に届くのだ。彼女がここを担当したのはたまたまだったが、一日見守り番をする間に生まれた感興は得難い。可能性を増やす方向に向かう、こんな一期一会がひとつでも多く生まれるといいと主催者として思う。

▼深く信仰しておらずとも正月は神社へ初詣に行く。寺へは花や紅葉や仏像を見にも行く。けれどクリスマスに教会へは行かない。だが、敷居が高いと勝手に線を引いていた教会は、入ってみれば誰もが歓迎されるオープンな空間であり場であり集団であり日常の営みだった。何なら集客コンテンツに腐心する観光寺院や神社より、よほど人や場を生き生きとさせる素敵なコミュニティーだった。

▼コンベンショナルな幻想の京都像にはもはや誰もがうんざりしている。ケーキを食べて贈り物を交わしながら、紋切り型の外側にあふれ出している光をこそ編集していきたい。


※トップ画像:現在のカトリック河原町教会。2023年11月、京都モダン建築祭にて撮影。


初代カトリック河原町教会(聖ザビエル天主堂) 1967年撮影
京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブより


明治村 聖ザビエル天主堂
Bariston, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

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型をお守りに、物語へ出る──51[破]伝習座レポート https://edist.ne.jp/post/51ha_denshuza_monogatari/ https://edist.ne.jp/post/51ha_denshuza_monogatari/#respond Sun, 17 Dec 2023 09:00:25 +0000 https://edist.ne.jp/?p=65105  第100回、記念すべき箱根駅伝がやってくる。史上初・2季連続の3冠を狙う駒大か、いや今年好調な青学の再びのリベンジか、エントリーされた選手たちの名前からも胸の高鳴りが聞こえてくるようだ。    応用コース[破 […]

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 第100回、記念すべき箱根駅伝がやってくる。史上初・2季連続の3冠を狙う駒大か、いや今年好調な青学の再びのリベンジか、エントリーされた選手たちの名前からも胸の高鳴りが聞こえてくるようだ。

 

 応用コース[破]が今まさにさしかかっている物語編集術も、全6題の区間を継いでタスキを渡すように物語作品を仕上げる道のりであり、終盤には天下の険もかくやという急坂登りが待っている。

 約1ヶ月をかけ、1本の映画からまるで別様の物語を生み出す鍵となる《翻案》は、破学衆のみならず師範代たちにも大きな飛躍が求められる難題だ。過日行われた51期[破]の伝習座では、翻案への心もとなさと決意がにじむ師範代へ向けて、野嶋真帆番匠の「乗りかえ・持ちかえ・着がえを起こす」レクチャーが行われた。

 

 

乗りかえ:情報を乗せる場を変える(メディア、フィルター、地と図の地など)

持ちかえ:持っているものを組み替える(ツール、要素など)

着がえ :スタイルやモードを変える(文体、様相)

 

 物語の構造を読み取り、この三位一体で読み替えることで、一から物語を創作するよりよほど“ぶっ飛んだ”作品を生み出すのが物語編集術の力だ、と語る。

 

 構造とはどういうものだったろう。一つのものを作り上げる部分部分の組み合わせや仕組み、さらには部分同士の関わり合いによって互いに及ぼしている影響の丸ごとを指す。部分と部分の関係が、構造なのだ。

 単純化した物語に照らせば、桃太郎はおじいさん・おばあさんから恩を受けて育ち、育った村を荒らす鬼退治を決意し、もらったきび団子を譲ることで仲間の協力を得て、生まれ持った勇気とともに鬼に立ち向かい、財宝を村へ持ち帰る。物語の要素である登場人物たちもそれぞれに多様な要素・機能・属性をまとい、それらが関わり合うことで物語が運ばれることがわかる。

 

 では構造を「読み替え」る、とは。レクチャーでは、家を例にとる。古代ローマの石材や石灰を固めた素材を中心とする頑丈な家、直射日光の暑さと湿気をしのぐ東南アジアの高床式住居、極寒の中で狩猟生活を営むアラスカのイグルー(雪の家)。さらに蟻の巣は、ビーバーのダムは、熱帯魚のサンゴ礁はどうだろう。文字通り《地》を乗り換えれば、家の姿は様変わりする。だからこそこれらを横断して見ることで、「家なるもの」、家という言葉の意味するものが浮かび上がる。

 先の「構造」を知るには、単なる柱・壁・屋根という部品の素材と組み合わせに限らず、住む人の特性やありよう、暮らすという行為を考え、それらの関係をすくい上げねばならない。その関係≒骨格を手に、新たな地に乗せ換えて血肉を再生していくことが、読み替えという方法だ。

 原田淳子学匠が「決定版」と太鼓判を押した野嶋番匠のレクチャーが進むにつれ、師範代たちの目の光が増してゆく。《翻案》への心もとなさの雲を、やわらかく、けれど確かな力強さで吹き流すような語りが響き渡っていた。

 

 

 野嶋番匠から読み替えの骨法を手渡された師範代たちは、レクチャーに続き、物語の超部分である登場人物たちのらしさをつかむワークに向かう。ナビゲーターの戸田由香師範は、伝習座の事前お題へのフィードバックをワークの手前に差し入れた。濃密な講義と振り返りを受けてのディスカッションだ。

 

「ダース・ベイダーの表と裏の両面を読み取ると何が見えるのか」

「もし会社の中にダースベイダーがいたらどんな存在?」

「もしダースベイダーが車になったら車種は何?」

 

 

 要素・機能・属性を分けて集めたり、表と裏の二点分岐で特徴を捉えたり、《地》を置き換えたり、奥底に揺らぐアーキタイプを手探りすることで、キャラクターが意味単位のネットワークと化していく。声や身ぶりに熱を込める師範代たちの発表に、福田容子番匠の檄が飛んだ。「今の発表内容は、アーキタイプからプロトタイプにスライドしてるでしょう。もっと使ってる型に自覚的になって」。さっと走る緊張感の中、ワークで交わされた思考が急速に遡られる。型によって情報を動かし・取り出し、さらに取り出した情報から型を確かめ直す。「行ったり来たり工学」たる編集工学における「振り返り」の意味が改めて浮き彫りになった。

 

 ワークのお題で問われた《らしさ》をはじめ、発表で語られたのはすべて基本コース[守]の方法だ。その上、野嶋番匠のレクチャータイトル「乗りかえ・持ちかえ・着がえ」は守の開講初日のメッセージに込められるものだった。

 「型を守って型に着き」を越えた破学衆・師範代にとって、守の型はまさにお守りであり、懐刀。覚束なく手に取った刃を振るい続け、一体となって世界と向き合うのが破の道のりであるだろう。物語という新たな世界や、さしかかるお題に応じてやわらかく変化する型へと出ていくために、師範代一人ひとりの懐で、大いに研がれた刀が今夜も光る。

The post 型をお守りに、物語へ出る──51[破]伝習座レポート first appeared on 遊刊エディスト:松岡正剛、編集工学、イシス編集学校に関するニューメディア.

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