ISIS FESTA SPECIAL 今福龍太『霧のコミューン』発刊記念 ~生者から死者へ、死者から生者へ~

2024/10/17(木)08:00 img
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豪徳寺の本楼には、菩提樹の立花が生けられていた。一週間前、松岡校長の四十九日に、贔屓の花屋から届けられたものだ。葉は枯れていても、膨らんだ蕾みに生を感じる。そんな10/6(日)の本楼の舞台で、いみじくも「生者から死者へ、死者から生者へ」と題された、今福龍太氏による『霧のコミューン』発刊記念イベントが開催された。

 

霧のコミューンとは何か

ちぐはぐは許されず、本物と偽物が区別される。透明性と合理性が求められ、目先の効率化で息苦しい現代社会。それに抵抗する共同体が「霧のコミューン」だ。「分別だけで塗り固められていない、希望のくにへ」とは著書の帯の一文である。
 
霧のコミューンは、何かが兆す「予兆」、それ自体を希望として受けとめる。霧は「秘密」のヴェールで抵抗者を庇い、世界を更新する新たな出会いに導く「偶有性」の現場である。松岡校長が「『ほんと』と『つもり』が混じった状態でしか世界や世間は捉えられない」と語り、「擬」という方法に光を当てたところで、今福の眼は「霧」に向かった。
 
霧は気象現象であると同時に、メタファーでもあるということを忘れたくない
 
8年にわたってエッセイを書き継ぐなかで、対話を重ねた多くの作家が「霧」に言及していたことから、霧がもつ批評の可能性に今福の意識が向いた。現在の出来事を起点とした批評の中では、できる限り遠くに飛躍することを試みたという。「出来事から遠ざかることは、それを無視することではなく、突き抜けていくこと。そういう批評が本当に深い射程をもつ」のだ。
 
情報は、教育や社会生活を営む中で身につけた「分別」によって、カテゴライズされている。われわれは一度、「分別」を不分明な霧の中に差し戻す必要があるのではないか、と今福は問いかけた。その姿は、編集を終えようとする社会に抵抗し続けた松岡校長にだぶる。
 
死者を迎え入れ、生者と死者の絆を回復する霧のコミューンは、情報のあらたな関係づけに向かう編集の拠点だったのである。
 

 

 

 

霧に見立てる方法

分別に固まった頭をほぐそうと、初めにメッセージを凝縮した映像が映された。
風に流れる山霧が立ちこめる山頂から、遠くの海を見晴るかす。奄美大島の写真家・濱田康作氏の映像に合わせて流れるジャズ・スタンダード「Misty」。ボーカルは、アイスランドの女性シンガーLAUFEY(レイヴェイ)だ。音楽性の素晴らしさと中国系アイスランド人というクレオールな出自が相まって、今福を夢中にさせているアーティストだ。ややハスキーな震える声でこんな心境が歌い上げられる。
 
  On my own,
  Would I wander through this wonderland alone
  Never knowing my right foot from my left,
  My hat from my glove,
  I’m too misty, and too much in love.
 
帽子と手袋の見分けがつかず、歩きかたすら忘れてしまう、不思議の国に迷い込み分別を失った状態。それを「Misty」と霧に見立てたことで、霧の比喩的な本質が発見されたと今福は言う。
 
うっとりして、ぼうっとして、合理性の外側に放り出されたとき、霧は分別に対する問い直しを鋭く迫る
 
見立てという方法に着目したことで、情熱的なラブバラード「Misty」に新しい可能性が加えられた。

 

霧のたくさんの可能性

本楼に集った人の手元には、霧に関わる一節を抜き出した霧のアンソロジーが配られている。裏が透ける薄手の和紙に印刷された言葉は、霧の中に浮かんでいるようだ。共同体に集ったみんなの手で、どんどん構成を変えていきたいと語る今福に導かれ、詞華集を頼りに霧の中に分け入った。

 

宮沢賢治、山上憶良、中谷芙二子、ルイーズ・グリュック、ウィリアム・ブレイク、吉増剛造・・・
作家の言葉の感触を確かめながら、今福はそこに現れる霧の姿を言い当てていく。
 
  霧は他者との境界を曖昧にする。
  霧は深い嘆きの息であると同時に、それを優しく慰撫する。
  霧は人に休息を与えて生きる力で再び満たす。
  霧は自らが忘れていた人の能力を開かせる。
  霧は言葉と裏腹の関係にある。
  霧は何かを獲得する前の困難である。
 
アンソロジーの冒頭には、エミリー・ディキンソンが死の間際に残した言葉が置かれている。
 
「私は入っていかねばなりません、霧が立ちのぼってきたのですから」
 
生と死を分断せずに、死を人間のもう一つのモード、可能性として見ると、そこに霧が立ちのぼる。大きな決意は見えても、生死の決断を大袈裟にみていない、この詩人の言葉を前に、今福はゆっくりと口を開く。
 
我々は決断を間違えて考えている。日々の小さな、ちょっとしたモードの違い、あるいは存在のあり方の違いのようなものを決然と受けとめ、諾い、そこに入っていく。そういう小さな、かすかな変身の決断が、最も重要で必要なもの。
 
友人の死を看取ったとき、エミリーの目に日常の中のちいさなことが飛び込んできた。ローマン体がイタリック体にかわるような些細な変化だが、詩人はそこから大きな啓示を受け取った。そんなエミリー・ディキンソンの言葉の前で立ち止まり、今福はこう問いかけた。
 
松岡正剛の死を大きな分断と捉えたくない。彼を感じながら話をしたい。死が私たちに与えてくれる、ほんのわずかなものを忘れたくない。われわれはイタリックの感覚を忘れていはしまいか?

 

たくさんの編集的自己を抱えていた松岡校長、生者から死者へのモードチェンジはその顕れの一つなのかもしれない。その面影はISISの編集を益々加速させていく。「振り落とされないよう、センサーを開けなさいね」と低い声が耳に響いた。

 

 

多読アレゴリア クラブ・群島ククムイ誕生

イシスネオバロックを掲げた編集学校は、ISIS co-mission、伝習座ニュースタイルと続いて、12月に多読ジムを多読アレゴリアとしてリニューアルさせる。

今福氏を監修に迎えたクラブ・群島ククムイも誕生するので、ファンの方は早速申し込んでほしい。先着順なのでお早めに。

 

謎かけ、秘密が大好きという今福氏にサプライズをしかけたり、しかけられたり。一緒になって、子供時代の夕暮れ時を思い出して遊び尽くそう。

群島ククムイシスターズのみなさん。左から西村慧、渡會眞澄、阿曾祐子。

 

壇上のディスプレイにはGato Azul謹製の「変容の山」が並ぶ。一冊づつ手仕事で作られる美しい装丁。その奥には『リングア・フランカへの旅』も見える。昨年の多読SP今福龍太を読むでは、この本をキーブックに六つの島宇宙の航海に乗り出した。多読アレゴリアではどんな冒険がまっているのか期待が高まる。

 

お知らせ

映像の中で使用されていた「植物文様」の作曲家・藤枝守氏と今福龍太氏の対談が、豪徳寺・イシス編集学校で開催される。こちらもお見逃し無く!

 

■日時:2024年10月23日(水)19:00~21:30(開場 18:30)

■出演:藤枝 守(作曲家)、今福龍太(文化人類学者)

■参加費:リアル参加 4,000円(税込 4,400円)

     オンライン参加 3,000円(税込 3,300円)

■会場:編集工学研究所「本楼」(世田谷区豪徳寺)
    ※オンライン参加の方には後日ZoomのURLをお送りします。


■定員:リアル参加につきましては、先着25名となります。
■参加資格:どなたでもご参加いただけます。
■参加特典:お申込者限定のアーカイブ動画あり(視聴期間1ヶ月程度)

■申込(URL):https://shop.eel.co.jp/products/detail/767

■申込締切:2024年10月22日(火)まで

■お問い合わせ:front_es@eel.co.jp

 

 

  • 西宮・B・牧人

    編集的先達:エルヴィン・シュレーディンガー。アキバでの失恋をきっかけにイシスに入門した、コンピュータ・エンジニアにして、フラメンコ・ギタリスト。稽古の最中になぜかビーバーを自らのトーテムにすることを決意して、ミドルネーム「B」を名乗る。最近は脱コンビニ人間を志し、8kgのダイエットに成功。