お正月にやってくる歳神のように、外側からやってきて人々に幸をもたらし、外側に帰っていくのが日本の神と言われる。50[守]の田中優子氏、51[守]の大澤真幸氏に続き、3回目となるイシス編集学校[守]コースの特別講義を担うのは、メディア美学者の武邑光裕氏だ。武邑氏というマレビトのフィルターを借りることで、私たちはどのように編集を捉えなおすことができるのか。52[守]の用意は数か月前から始められた。
「武邑さんについて学ぼう!」。勢いよく師範の遠藤健史が、指導陣(師範・師範代)の集うラウンジにスレッドを立ちあげたのは12月初めのことだ。武邑氏についてのコンパイルを深めねば、フィルターを借りることなぞ土台無理だ。Big Flat Now、デジタル技術、日本の伝統文化、間、黒魔術、ベルリン…、武邑氏情報のツリーが連なっていく。機を同じくして、DOMMUNEで行なわれた武邑氏と校長の松岡正剛との対談にも耳を澄ませた。松岡正剛の方法を学ぶという地に立てば、武邑氏は自分たちの大先輩である。一同の間に安心感も混じった親近感が湧く。
年が明け、鏡が開かぬうちに、師範の稲垣景子の掛け声のもと、共読会が開かれた。25人ほどが一同に会し、それまでに読みとった武邑氏の注意のカーソルを交わしあう。少し前までは、雲の上方に霞んで見えた武邑氏の輪郭が形を帯びてくる。既知が増えると、未知に向かいたくなるのがイシスの面々だ。このワクワクを学衆と共に相互編集したい。師範代たちの来る日への想いが募る。
ひたひたと進む師範・師範代たちの武邑読みの一方、年末年始の各教室では2回目の番選ボードレール「即答・ミメロギア」の稽古が、賑やかに繰り広げられた。出題されたお題は6題。そのうちの一つ「水・魚」は武邑氏によるものだった。[守]稽古のお題は、編集稽古を知り尽くした師範陣が編集するのが常だ。如何に武邑氏というマレビトをお迎えできるかと師範陣が知恵を絞った末に出したのが、お題づくりに参画いただくという妙案だ。イシスにおいては、お題こそが、出題する側の指導陣と学衆とをつないできた。かくして、学衆はもちろん、指南する師範代、見守る師範と52[守]が一丸となって「水・魚」のミメロギア編集へと向かった。それは、同時に「武邑さんは、なぜ私たちにこのお題=水・魚に向かわせるのか」という問いに対することでもあった。
満を持して、マレビトを迎えた1月21日の講義冒頭で、武邑氏は「世界は編集可能か?」という大きな問いを場に投じた。「世界は編集を終えようとする」という松岡の言葉を引き、自身も何とか世界の編集力を再生したいと思ってきたという。
まず、大企業にとって不都合な消費行動分析が隠ぺいされた事例を提示した。続いて「最初に、私たちは道具を作り上げる。次に、道具が私たちを作る」というジョン・カルキンとマーシャル・マクルーハンの言葉を引用する。武邑氏によって、私たちの日常の奥に潜む「伏せ」が開かれていく。最初にインターネットを作り上げた人間が、いまやインターネットによって作られる。振り返れば、多くの人が自らの消費行動、ライフスタイルの大半がインターネットによって決められていることに観念するだろう。さらに武邑氏が続ける。環境に優しく、すべてが自動化されているように見えるeコマースの裏には、世界規模の膨大な物流の営みが伏せられている。そのことにお気づきだろうかと。
講義の中盤、いよいよ「水と魚」の登場だ。マクルーハンは、水と魚の見立てを使って、人間とメディアの関係を示した。水の中に生きる魚が、自分を囲む水を認知できないのと同じように、私たちは、自分がマスメディアに包囲された環境にあることを認識できない。そうであるならば、私たちは、マスメディアとインターネット、両者の結びつきによる欲望喚起の包囲網から逃れることなどできないのか、会場に絶望感が漂いかける。
講義の潮目が大きく変わったのがここからだ。柔らかい武邑氏の口調が、スピードを増す。人々は、マスメディアが必ずしも真実を伝えないことを知り始め、世界中のそこかしこで、新たな環境(境界)を結びなおそうという実験的な動きが見られる。一週間限りの砂漠での共同イベント「バーニングマン」、アパレルをつくり出すコンテンポラリー・カルチャーマガジン『032c』、武邑氏が次々と事例を示す。デジタル技術が生んだいつでもどこでも誰とでも同時に時空を一にできるBig Flat Nowの世界観をむしろ活用すればいいのだ。かつては越えられないと思っていた壁が、今は、自分の意志さえあればいくらでも超えていくことができる。今こそ「インタースコア」が力を発揮するときと明言した。
武邑氏のフィルターを借りて、現代社会の深層へのコンパイルを深める3時間が高速に過ぎた。38の[守]の型という道具と手に、私たちはどのようなエディットに向かいたいのか。あの日以来、用意を尽くした指導陣と学衆たちとの対話が続いている。52[守]の卒門まであと数日。教室という水を跳びだす瞬間はすぐそこだ。
武邑さんが紹介した『032c』と師範陣が共読した武邑さんの著作。
写真/後藤由加里
◆武邑光裕を知る・読む・考えるシリーズ◆
日本文化の記憶の継承者たれ『記憶のゆくたて ーデジタル・アーカイヴの文化経済ー』
全体主義に抗うための問いを持て 『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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